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『逃げと救いと涼宮ハルヒ』 2023年3月26日

日本のロックバンド、エレファントカシマシの
『クレッシェンド・デミネントー陽気なる逃亡者たる君へー』という曲の歌詞に

陽気なる逃亡者たる君へ言う
疲れたときは孤独になれ

クレッシェンド・デミネント-陽気なる逃亡者たる君へ-

という一節があります。
この曲を聞いた当時高校三年生だった私は、日々私のことを忘れてゆく祖父母の介護やら先が見えない受験やらの果ての見えない生活に相当参っていたのか。
素で「この曲私のことだ…」と中学生のボカロ厨宜しく深い感動を覚えて、歌詞の通りに逃げることを決意しました。保健室に。

保健室は学校でも特殊な空間で。

エイブルシスターズ、通えば通う程できることが増える

通えば通う程に先生や保健室常連の生徒と仲良くなり、居やすくなっていく性質がどうぶつの森のエイブルシスターズを彷彿とさせ、なんだかとても楽しかった。
ただ、楽しいだけでそこに逃げてもなにも解決はしなかった。

もうどうしようもないので最終的に
『保健室に逃げる』という手段を用いた心の回復を諦めて、全霊を懸けて問題を解消することに決めました。

そう、『涼宮ハルヒの憂鬱』を読みながら時間が全てを解消してくれるまで待つことにしたのです。然るべき時まで心を誤魔化すことにしたのですね。

世界史Bと古典A、現代文の授業は比較的成績にヨユウがあったので、理由を適当にでっち上げて保健室へと逃げる。
頭まで冷たい布団をかぶって、ウォークマンの液晶から漏れ出る僅かな光をたよりに涼宮ハルヒを読む。ひたすらに読む。

帰りのバス、電車の中、予備校の自習室で勉強しているとき、深夜祖父母の介護を手伝っているとき、ウォークマンでハルヒの曲を聞いて世界にどっぷりと浸かることで全力で日々をやり過ごしていました。

その全霊を懸けた後退の姿勢が功を奏したのかしてないのか、その生活に慣れるまでの時間をハルヒを用いて目を逸らし続けた結果、いつの間にかハルヒなしでも気持ちにヨユウを持つことができるようになりました。私にとってハルヒは喫煙者用の禁煙アイテムのようなモノだったワケですね。

結果として物理的にも精神的にも逃げ場所を作ることは正しかったのですね。私は辛いとすぐに逃げ場所を探してしまう癖があり、それを悲しく思っていましたが、真正面から逃げずにぶつかって心が砕け散るよりはマシなのかもしれませんね。逃げの大事さが分かった思い出でした。
木戸孝允はすごい。

ハイパー余談ですが、昨年の12月に『劇場版 涼宮ハルヒの消失』の上映会に足を運んできました。言うまでもなくこの映画は何回も繰り返し見ており、セリフを言えるほどに好きな映画ですが、やはり劇場で見るとなるとワケが違いました。全てがデカい、とんでもない。行って良かったとしみじみ思います。

これは普段はプライドを持った逆張り使いである私も

「ふーん、で、君は涼宮ハルヒのキャラで誰が好きなの?」
と聞かれたら、あえてストレートに
「オウフwwwいわゆるストレートな質問キタコレですねwww」
と答えざるを得ません。そのくらいの誠意をハルヒには見せたい。


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