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聖書の登場人物を学ぼう|ルツ記②

(全4回)
ルツ記2章 
神さまの導きの中で

 1章を少し振り返りましょう。
 ベツレヘムという地に飢饉が起きて、そこから逃がれた4人家族がいました。
 飢饉という状況の厳しさとその中で生きなければならなかった一家の苦労がうかがえます。その家族は、神さまを侮るモアブの地に逃れて行ったのです。

 著者は、モアブの地への移住については言及していません。ただ、このような彼らを神さまがどのように扱われたかを見極める必要があります。

 理由は定かではありませんが、主人と2人の息子は死んでしまいます。残されたのは妻ナオミと2人の息子の妻であった2人の義理の娘だけです。

 そして、ベツレヘムで飢饉が終わったので、ナオミは2人の義理の娘を連れて帰ろうとしますが、途中で思い直し、2人の娘を実家に帰そうとします。

 1人は説得してようやく実家に帰って行ったのですが、もう1人はナオミについて行きました。


 その人がこのルツ記の主人公のルツです。彼女はナオミへの愛ももちろんのことながら、帰っても食べていく保障や手だてがないにもかかわらず、イスラエルの神さまを自分の神さまとする決心をしてナオミとともにベツレヘムに向かったのです。


1.イスラエルで生きる決心をするルツ


 では、その続きです。

2:1 さてナオミには、夫エリメレクの一族で、非常に裕福なひとりの親戚があって、その名をボアズといった。
2:2 モアブの女ルツはナオミに言った、「どうぞ、わたしを畑に行かせてください。だれか親切な人が見当るならば、わたしはその方のあとについて落ち穂を拾います」。ナオミが彼女に「娘よ、行きなさい」と言ったので、
2:3 ルツは行って、刈る人たちのあとに従い、畑で落ち穂を拾ったが、彼女ははからずもエリメレクの一族であるボアズの畑の部分にきた。

 “落穂ひろい”は、フランスの画家、ミレーで有名ですね。
 その“落穂ひろい”とは、律法に書いてあることで、現代でいえば福祉政策の一環と言えるでしょう。
 
 畑の所有者は隅々まで収穫物を刈り取ってはならず、一部を残して寄留者や寡婦、孤児のために残しておかなければならないというものです。

レビ記19章9-10節
19:9 あなたがたの地の実のりを刈り入れるときは、畑のすみずみまで刈りつくしてはならない。またあなたの刈入れの落ち穂を拾ってはならない。
19:10 あなたのぶどう畑の実を取りつくしてはならない。またあなたのぶどう畑に落ちた実を拾ってはならない。貧しい者と寄留者とのために、これを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。

(他にレビ記23:22、申命記24:19-22など)

 しかし、この事が守られていた裏付けはありません。

 と言うのは、この時代、律法はありましたが、おのおの自分に正しいと見るところを行っていた時代だからです。

 ですからルツが、《だれか親切な人が見当るならば、》と言っていますが、現実的には落穂ひろいで2人が食べていくのは難しいと言えるでしょう。

 しかし、ルツは書いてあるように、《はからずも》ボアズという人の畑に導かれます。ルツにとって、それが神さまの導きであったことはボアズという人物を見ていくとお分かりいただけると思います。

2.ボアズとの出会い

2:4 その時ボアズは、ベツレヘムからきて、刈る者どもに言った、「主があなたがたと共におられますように」。彼らは答えた、「主があなたを祝福されますように」。

 ボアズは畑の所有者であり、従業員がいるほどの広さを所有していることがわかります。
 どうやら、従業員との関係は良好のようです。

 まず、雇い主のボアズから挨拶しているところを見ると、従業員に気配りができる経営者であることがうかがえます。また、従業員も彼のことを認めているようです。
 何気ない会話ですが、ボアズの信仰や人格がすでに垣間見えます。

 続けて、5-7節を読みます。

2:5 ボアズは刈る人たちを監督しているしもべに言った、「これはだれの娘ですか」。
2:6 刈る人たちを監督しているしもべは答えた、「あれはモアブの女で、モアブの地からナオミと一緒に帰ってきたのですが、
2:7 彼女は『どうぞ、わたしに、刈る人たちのあとについて、束のあいだで、落ち穂を拾い集めさせてください』と言いました。そして彼女は朝早くきて、今まで働いて、少しのあいだも休みませんでした」。

 ボアズは、“落穂ひろい”をしている人たちのこともよく把握しているようです。いつもはいないルツがいることに気付くのですから。

 それは律法をよく守っているからこそ、“落穂ひろい”をしている人たちを軽視しせず、心を向けることができるのでしょう。そして、ルツという人をよく調べてから、ルツに話しかけます。

2:8 ボアズはルツに言った、「娘よ、お聞きなさい。ほかの畑に穂を拾いに行ってはいけません。またここを去ってはなりません。わたしのところで働く女たちを離れないで、ここにいなさい。

2:9 人々が刈りとっている畑に目をとめて、そのあとについて行きなさい。わたしは若者たちに命じて、あなたのじゃまをしないようにと、言っておいたではありませんか。あなたがかわく時には水がめのところへ行って、若者たちのくんだのを飲みなさい」。

2:10 彼女は地に伏して拝し、彼に言った、「どうしてあなたは、わたしのような外国人を顧みて、親切にしてくださるのですか」。

2:11 ボアズは答えて彼女に言った、「あなたの夫が死んでこのかた、あなたがしゅうとめにつくしたこと、また自分の父母と生れた国を離れて、かつて知らなかった民のところにきたことは皆わたしに聞えました。

2:12 どうぞ、主があなたのしたことに報いられるように。どうぞ、イスラエルの神、主、すなわちあなたがその翼の下に身を寄せようとしてきた主からじゅうぶんの報いを得られるように」。

 収穫をしている人たちにとっては、“落穂ひろい”をする人は、はっきり言ってジャマです。
 しかしボアズは、ルツが義母ナオミを愛し、神さまを選んで信仰をもって訪れた人であるということを認めジャマ扱いせず、畑の収穫作業効率よりも律法を優先しています。

 ボアズは、神さまのお言葉である律法に忠実な人間であることがわかります。ですから、ボアズの畑には、ルツ以外の女性たちも“落穂ひろい”をしているのでしょう。

 嫁と姑2人で暮らすルツは、ボアズの畑で“落穂ひろい”をしている人とは思えない厚待遇を受け、ナオミと生活できる食べ物を得ることができたのです。
 ルツが家に帰ってナオミに一部始終報告すると、ナオミはびっくりします。

2:20 ナオミは嫁に言った、「生きている者をも、死んだ者をも、顧みて、いつくしみを賜わる主が、どうぞその人を祝福されますように」。ナオミはまた彼女に言った、「その人はわたしたちの縁者で、最も近い親戚のひとりです」。
2:21 モアブの女ルツは言った、「その人はまたわたしに『あなたはわたしのところの刈入れが全部終るまで、わたしのしもべたちのそばについていなさい』と言いました」。
2:22 ナオミは嫁ルツに言った、「娘よ、その人のところで働く女たちと一緒に出かけるのはけっこうです。そうすればほかの畑で人にいじめられるのを免れるでしょう」。


3.神さまの導きの中で

 ルツはボアズの畑に《はからずも》行くことになりました。これはルツとナオミにとって大きな神さまからの備えであったことがわかります。

 食べていく保障のない中で、ルツはナオミとベツレヘムに来ました。ルツにとってはモアブに残ったほうが人生の設計はしやすかったことでしょう。
 しかし彼女は、イスラエルの神を自分の神さまとし、ナオミとともに生きていくことを選びました。

 2章だけを見れば少し幸せになっていくように見えますが、現実には落穂を拾える期間は限られています。その後もナオミを養い生きていかなければならないことを考えるなら、不安が先立つのが普通ではないでしょうか。

 しかし、ルツは少し違います。自分の損得や計算ではなく、神さまに頼って、隣人を愛する生き方を選択し懸命に働きました。それに対して神さまの備えと導きがあったことをルツ記の記者は伝えたいのです。

 現代の私たちも同じではないでしょうか。この世で私たちは生き方を模索しています。それは当然のことです。
 しかしながら、自分の思い通りにならないことが多くあるのではないでしょうか。

 ルツは私たちへ、神さまに委ねて生きる者の導きと備えを教えてくれます。神さまと隣人のために生きる者を、神さまは決して見捨てないということを。

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