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いつのまにか、ここにいる。


「いつのまにか、ここにいる」

国民的アイドルグループ、乃木坂46のドキュメンタリー映画の第2作のタイトルである。岩下監督がどういう意図でこのタイトルを付けたのかは僕の知るところではないけれど、岩下監督も、「"いつのまにか"、乃木坂の映画を撮ることになっていた」し、乃木坂メンバーも、「"いつのまにか"、乃木坂のメンバーになっていた」し、これを見る所謂乃木坂のファンも「"いつのまにか"、乃木坂のファンになっていた」のだと思う。

1期生オーディションは36/38934、2期生オーディションは14/16302、3期生オーディションにいたっては12/48986という高倍率をくぐり抜けて乃木坂46として活動している(ソースはwikipedia)彼女らが「"いつのまにか"乃木坂のメンバーになった」とは、これいかに。

でも、本気で乃木坂に合格できると思ってオーディションを受けた人はどれだけいるのか。もちろん謙遜もあるだろうが、坂道のメンバーから「受かると思ってました」というのを聞いたことがないし、そう思っている人がいたとしてもそれは過信に違いない。イチローや大谷翔平でさえ、自分がメジャーで最多安打記録を塗り替えるとか、二刀流でMVP最有力になるとか、アマチュア時代には想像もつかなかっただろう。目の前の課題や試合に全力で取り組んできた結果そういう偉業を達成できたのであって、彼らは決して「自分はこうなるべくして生まれてきたし、こうなるために野球を始めた」とは言わない。それが傲慢であることを、誰よりも努力をしてきた彼らが一番よくわかっているから。彼らもまた、「いつのまにか、ここにいる」のだ。

もちろん「自分が目標達成のために努力して、それがいい結果をもたらした」という経験=所謂成功体験とやらは認知の上では重要だと思うが、それは自分に限った話であって、相対的に見れば、育った家庭環境・先天的な身体や性格、何もかもが違うわけで、後天的に自分の努力だけでどんな目標でも達成できるというのは理想論に近いだろう。神様の視点から人間全体を見たら、みんな「いつのまにか、ここにいる」のだと思う。なんか運命論みたいで嫌だけど、生まれた時に運命が決まっているのではなくて、生まれた時から必死にあがいてあがいて、その結果一意的に定まる人生を歩んでいる、そんな感じ。

大人は「夢を持て」と子供に説くが、果たして、子供にそれを説けるくらい愚直に、自分を信じて努力してきた大人がどれだけいるだろう。大半の大人は自分が何者でもないことに気づかされ、妥協してどこかにたどり着く。坂道の曲で言ったら、『逃げ水』とか『ヒールの高さ』のような世界観。僕たちはふとそれに気づかされることがあって、自分のことが嫌になるんだけど、そこに寄り添ってくれるのが乃木坂であり、坂道グループなんじゃないか。そんな風に思う。「いつのまにか、ここにいる」ことが嫌で、「いつのまにか、アイドルになっていた」普通の女の子たちが、自分のアイデンティティを求めてひたむきに頑張っているその姿が、「いつのまにか、ここにいる」ことしかできない僕らにちょっぴり勇気を分けてくれるのだ。だから、決して世界一とは言えない彼女らの歌やダンスを見に数万人が集まる。

これからも、坂道グループにはそうあってほしい。(完)


「いつの日からか 僕は大人になって 走らなくなった」(『逃げ水』/乃木坂46)
「子供の頃に何になりたかったか?って 思い出せないのはきっと ギャップに気づきたくないから」(『ヒールの高さ』/菅井友香・守屋茜)
「今ここにいるのは あの頃の自分じゃない ある日どこかで生まれ変わった自分だ わかるだろう?」(『居心地悪く、大人になった』/齊藤京子)


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