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学歴とマッチョ思考の結びつき(4)〜小さな世界の帝王に、高学歴な俺はなる!なんならもう、なっている〜

また「高学歴マッチョ男性」は、”狭い世界の帝王”になりたがる傾向がある。やけにしゃしゃり出て、集団を率いる側になったり、狭い世界の役職(「部長」など「長(チョー)」がつくもの)、社会人になってからであれば「職場の格」「役職」などにもこだわる。また凄い人が知り合いに多い、というようなことも度々心の拠り所にする(それはちょっとわかるところはある…。自分がパッとしない仕事をしているとますます(涙))。「職場の格」や「役職」の差は、給与水準、生涯賃金、などに著しく差がついていく実態もあり(学生時代はそういうことを、全然知らなかった!)社会人としては、そういった意識が強いことは、必ずしも悪いことだけではないとも思う。


しかしながら、「高学歴マッチョ男性」は、周りが彼らを信頼して、中心の立場になってほしいと願った結果そうなっているというよりは、本人が、自分は優秀だと思い込んでいる結果、誰も頼んでもないのに、勝手にしゃしゃり出てきて、小さな世界の権力を得ようとすることが多い。

やけに声が大きく、どんどん仕切っていくので、気づけば彼らが中心となり、大きな顔をしている上に、なかなか退いてくれない傾向がある(自戒を込めて…。だって、社会人になると友達ができないし、気の合う人もいないし、優しい人が多かった学生時代のコミュニティしか、居場所がないのよ!)。

定年があるような組織ならまだいいが、「定年」などないボランティア組織であったり、いつまでもOBとして関わり続けることが可能である団体に、偉そうな態度をとったり、後輩に説教をしながら居座られたりしたらたまったものではない。

小さな世界の迷惑さは半端ないが、サークル活動なんてかわいいものならまだいいとしても、うっかり、大きなお金が動く割に組織の運営がいい加減な非営利組織に、「お前は凄い!」と思われている知り合いのつてで呼ばれたりして、さらには予算執行の権限を持ってしまったりすると、巨額の予算を投じて好き勝手に建物を建てる計画を高学歴マッチョ男性が一人で進めてしまうことなどができたりして、ますます困ったことになる。

建築関係の仕組みに多少詳しくなったつもりになっている今、日本という国の圧倒的な景観の残念さは、そんな風に権限を持った高学歴マッチョなオジサマたちが、閉ざされた数人で何もかもを決められる会議において、巨額の仕事を請け負い、自分の知り合いが所属する会社などに投げることをやり続けてきた結果なのではないかとも思う。

また、高学歴マッチョ男性の「男尊女卑」の傾向についてだが、「男尊女卑」と言っても、一見、そこまで「男尊女卑」なことを常に発言しているわけでもない。ただし、根っこのところでは、とてつもなく、女性に厳しい。彼らの中でお気に入りとみなした女性に対してだけは「尊」とみなし丁重に扱う。あくまでも「好み」や「集団の中で良い感じとみなされているかどうか」「高学歴マッチョ男性の大学の同窓であったり以前所属していた企業が同じかどうか」といったようなものが、尺度になることが多い。

例えば、蓮舫さんは美しい方だが、同じサークルに蓮舫さんがいても、彼らの好みでなかった場合は「卑」の扱いをする。またサークル内にアンジェリーナ・ジョリーがいたとしても、アンジーも、彼らを持ち上げたりしないしなんなら意見を言いそうだから、「卑」の扱いをされるかもしれない。むしろアンジーみたいなガチで女性として凄すぎる存在のことは、恐れてしまい存在を無視するかもしれない。自分を脅かさない、絶対に意見を言ってこなさそうな従順そうな、黒目がちで小動物のような雰囲気の、育ちが良い女性のことが好きである。また、自分の学歴にこだわっている人の場合、女性の学歴も同等のものを望んだり同窓であることを重んじたり、場合によっては「持ち上げてくれる」くらいに程よい学歴の女性のことが好きである。

彼らの好みにおける、安定しない価値基準の中で「内側・仲間」の存在だとみなした人を妙に褒め称えるが、「外側・気に入らない」とみなされると、バッシング対象や仲間はずれにしてしまうので、厄介極まりない。また、ここでいうマッチョ男性は、異様に毒舌だったり、盛り上げられていると勘違いしてか、女性もたくさんいる場面で下ネタを連呼したり、女性の外見のことをディスりまくったり、逆に誰かを「かわいいー!」とか言いまくったりして、それも迷惑極まりない。なんでトム・クルーズ(イケメンの代表)でもない、あなたの価値観で決められなきゃいかんのだ!

また、狭量な価値観において「下」だと思ったものを気軽におとしめたり、人間としての根本的な倫理観が欠落しているような人だったりもするのだが、そういう攻撃的な人というのは、皆「彼らに嫌われたくない」と無意識に恐れるがゆえに、彼らに迎合して「あの人はすごい人だ」と思っているかのように振る舞わざるを得ないことが多い。彼らは、その暴力性や狭量な価値観をもとに、競争社会に意気揚々と放り出されていくが、大抵、どこか感情面に欠落している点があるため(ゆえに欠点を指摘してくれるような近い関係性の同性の友達はいなさそう)なんとなく少し孤独そうである。その欠落を、付き合う女性や、結婚相手の女性の魅力度(わかりやすく言えば美人な女性とつきあえるか、結婚できるか、というようなこと)本人の学歴や、就職先や、就職した後の役職や年収によって塗り固めたプライドで埋めようとしているかのようだ。そういった「格付け」へのこだわりが、異様に強く、その格付けの外にあるとみなした何かをたやすく思い切りディスる。そのため、自分を輝かせるためのアイテムとして女性を「格付け」し、外見的な魅力ばかりで評価しがちなので、女性のことをあまり「人間」として見ていないのではないかと思う。

~学歴とマッチョ思考の結びつき~(5) に続きます!


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