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衣装だけ やけに本気の テカリ具合 〜地獄のピアノ発表会(3)〜

 ピアノの発表会に出演することが決まり、パッとしない曲をパッとしない気持ちのままに練習し、ついにパッとしない発表の日がやってきた。元々内向的で、スカートが苦手でズボンばかりを履いていて、ごくごく親しい友人以外とは会話すらできないような子供だった自分にとって、着たくもないドレスを着て、人前で弾きたくもないピアノを弾かされるというのは、地獄に地獄を重ね合わせた地獄ミルフィーユのような体験だったのだが、何より辛かったのは、その日のために母親が何処か(somewhere)の誰か(somebody)から借りてきた、テカテカとした「衣装」であった。サムウェア、サムバディ、である。この単語は重要なのでマーカーを引いておいてください!

 当時、歯並びがすこぶる悪く、目も細く、対人恐怖症気味で、当時はそういう言葉も知らなかったのだが、ある特定の場面でしか声を出して会話ができないという、場面緘黙(かんもく)があった自分は、幼少期から、自分の外見が嫌で嫌でたまらなかった。特に人の美醜に厳しいヤンキーイズムを体現した母と、自分のことをイケメンだと確信している目の大きな兄からは、自分の外見に対し、日常的に容赦なく厳しい評価が下されていたので、ますますもって自分の容姿が嫌であった。

 ある日、タモリさんが司会をし、エンディングでTak Matsumoto氏によるギターが朗々と流れる番組である「ミュージックステーション」を見た。「ミュージックステーション」が、まだ長寿番組ではなく、斬新かつフレッシュな番組だった頃である。ランキング映像の中で数秒、山下達郎の「クリスマスイブ」が流れた。その曲の映像を見た時に、私は、雷に打たれたようなショックを受けた。「自分が出ているのではないか」と思ったのだった。自分の顔が、山下達郎に激似だと自分で思ったのだ。いや、何なら、この達郎氏が自分に似ているのだ。

 世界には、何人か自分とそっくりな人がいて、偶然出会ったら死んでしまう、というような迷信に迷信を重ね合わせた話を思い出した。「山下達郎にもしジャスコなどで会ったら、私は、死んでしまうのではないか!?」と、恐怖のあまり鳥肌が立つ程度には、外見が山下達郎に似ている(と自分で自分を認識している)子供であった。

 そんな山下達郎に似ている私に対し、母親が選んだピアノの発表会のドレスは、なんともいえず時代に合わない、本気(ガチ)のドレスであった。なにぶんそこまで本気(ガチ)の演奏者はいない、片田舎の小さなピアノ教室の発表会であるゆえに、そんなドレスを着ている人はおらず、もう少しカジュアルな格好の発表者がほとんどだったのだが、母が選んだ衣装だけは、テカテカした白い生地に意味不明なフリルが大量についた上の服と(注:服に関する語彙がなさすぎて服が説明できない)異様に長い丈で、漆黒の闇のような黒さで、またこれまたふっさふっさした飾りのついた、光沢のある妙ちくりんなスカートだった。とにかく全体的に上はテカテカ、つやつや、下は黒々、長々、ふさふさとしていた。どこかの(somewhere)誰か(somebody)からこの日のために母がうきうきとして借りた、自分の趣味嗜好や個性を全く無視していたドレスは、当時すでに好景気であった日本の時代から20年くらいずれたような、本気(ガチ)の衣装であった。

 いや…もうこれほんと、ただただ辛い話(©かまいたち濱家氏の発言(HDDに録りためてある個人的アメトーク傑作選の中で、10回以上見たアメトークの神回、「実家ビンボー芸人」より引用…!)

地獄のピアノ発表会(4)に続きます!

 

 

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