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本や映画をつくっている人の周りには本や映画を好きな人しかいない問題 〜オワコンと言われたところでピンとこぬ!くわしい人しかまわりにいないの〜

 自分の冴えない人生を支えてきたものが全て「オワコン」になりつつある今日この頃である。紙の本は売れず、本屋は次々に閉店。え!閉店!びっくり…そうは言っても八重洲ブックセンターなんてここ何年も行ってなかった。amazonで買うと次の日に持ってきてくれる。先日、重い本を2冊、トートバッグに入れて持ち帰ったら肩に激痛が走りうなされ夜中に目が覚めた。分厚い紙の本の、2023年の最も有益な使われ方は「プロジェクターの高さがいまいち合わない時の、高さ調整」のために存在しているという実感もある。
私が以前から疑問に思っていること、それは本を愛している人ほど図書館やブックオフ等の古本屋のことも同様に愛しているので、一円も払わずに、あるいは格安で、著者には一円も払われない仕組みを嬉々として利用して読んでしまっているということである。図書館やブックオフのもたらす功績は素晴らしい。無料や数百円で読める世界を作ってくれている。日本人の識字率、高い基礎学力、など、近年怪しいそれらの基盤を作ってくれたのは図書館やブックオフなのかもしれない。もちろん私も愛している。でもその文化を一番愛する人々が声高に図書館への愛を叫び、ハリーポッター(古いか)を50人待ちで読んでいるのは疑問だった。あるいはブックオフで買う。新しい本を、買ってあげてよ。愛するなら。でも自分も古本ばかり買っていた。新刊本は高すぎる。

 2000年ゼロ年代の後半、「糸井重里のほぼ日が・・・」という話題を当時の大学3年生たちにしたら「糸井重里」も「ほぼ日」もその場の学生たちの誰も知らなかった時はたまげた。知らなかったからと言って、知ろうという意欲もなさそうなところも仰天した。そして彼らはいうのだった。無料じゃないものを見たり聞いたり読んだりする気はないのだと。なんとしてでも無料のものを見つけると。ネットの海には全てがあるのだ。そしてひろゆきが人気だ。私も仕事に病んでいた時、毎日ひろゆきのyoutubeを聴いてしまっていた時期がある。憎むべき、無能で高給のシニア。彼らを罵ってくれるひろゆきに賛同していたが、私はもう少し若い人たちからは無能で高給(?)なシニアとして嘲られることがある。ひろゆきと私は数歳しか差がない。同世代である。ひろゆきが始めた罵詈雑言の嵐を元に拡張した2ch。私が大学生の頃、ごくごく一部の友人たちが2chに夢中になっていた。私はその世界観はちょっと耐え難いものがあった。悪意をぶつけ合う世界に見えたからだ。当時住んでいた寮のスタディルーム(勉強のための部屋、をそう呼んでいた。通称「スタディ」)に、たった一台しかない縦型のMac(リンゴが虹色だった)。ブラウザはネットスケープで、とてつもなく遅かった。スマホなど存在しなかったその頃、そのPCにへばりつくようにして、かなり際どい内容のスレッドを日常的に見ていた友人たちが何人かいた。

 2chで大儲けを果たしたひろゆきは、数億円持っている。

そして4chanをアメリカで始めた。

 紙の本が売れない、芸術的な映画を見に行く若い人が減っている。しかし業界関係者にはその実感は乏しい。なぜなら、紙の本や芸術的な映画などの仕事についている多くの人の周りには、物心ついた頃から本や芸術的な映画を好きだった人しかいないからである。

ネットには敵わない。googleもappleもfacebookもamazonも。2ch.も4chanも、リアルタイムで更新される。書き手にはなんの資格もいらない。日本中、いや世界中の人が見る。そんなシステム、昔はなかった。

一見同じようなサービスを提供しているように見えるそのスクリーンの背後には世界の天才たちがいる。劣悪な労働環境の日本企業から転職した優秀な人々がいる。amazonと戦わされる商店街。Netflixと戦わされるテレビ。

自分が愛してきたものがオワコンになる。ときめかないものとして処分を求められる。どう抗えばいいのか。まずはハチマキを締めて掃除を頑張ろう。

以上です。

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