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独特のつくりをしていた女子寮に・・・設計者ご本人がやってきた!ヤァ!ヤァ!ヤァ!

 20年以上前の寮生活の思い出である。

自分が住んでいた寮の構造は独特だった。他の学生寮は、もっとシンプルな作りで、1階に廊下があって、102、103…というような形で等間隔に部屋があった。2階にはまた2階の廊下があり、201、202…というように部屋が配置されている。それほど変わった特徴はなかったように思う。

 しかし、自分が住んでいた寮の構造は、他の寮とは明らかに異なっていた。廊下はひとつしかなかった。アリの巣のような構造で、一つしかない廊下にある階段を少しだけ上に上がると2階、少しだけ下に下がると1階、という仕組みになっていて、部屋と部屋の間に、トイレと洗面所が一つずつある。 一つの廊下で繋がっている、ちょっとした階段の裏のところに、冷蔵庫や電子レンジを置いたりしていた。20年前に自分が使っていたSANYOのとてつもなくダサい明かり(入寮日に実家から持って行ったやつ)や、ほぼ同機能のオーブンレンジが、その後もまだ使われていた時には、本当に衝撃を受けたこともあった。日本の家電製品はある時までは壊れにくかったのだ。

部屋と部屋の間のトイレと洗面所のことを「居室間(きょしつかん)」という独自の呼び方で読んでいた。この説明で、住んだことのない人がこの寮の構造を想像できるとは思えないのだが、他の寮がそうであったように、101、201、と言うとそれぞれ、別の階にあるのが普通だが、各部屋にトイレと洗面所を共有する「お隣さん」のような部屋ができるのである。全ての部屋が同じフロア内にあり、1階と2階、で住人が分かれることがないのだった。そのため、住んでいる寮生同士の全体の顔馴染率というか、団結率のようなものは、他の寮よりも、高かったのかもしれない。他の寮の人たちからは「自分たちで完結している」寮であると(若干揶揄されている?)言われていたと後になって知ったが、それは男子寮が3つなのに女子寮が4つあったので、どことも組にならずに、一つ余ってしまっていたせいでますます内に向かっていたと思っていたのだが、それだけではなく、建物の構造もあってますます「自分たちの世界で完結」していたのかもしれない、とも思う。

それは時には猛烈に息苦しかったが、とてつもなく楽しい時もあった。はたから見たら閉鎖的で奇妙だったとしても、自己完結や内輪の世界は、とても楽しいものである。

 寮の関係者がいまだに当時のことを思い出しては大笑いするほどの(一種どうかしている)強い思い入れにも関わらず、女子寮も男子寮も、古い寮はあと数年で全て閉鎖される可能性が高いと予想されていた。大学が発表しすぐに取り下げられた、今後のキャンパス設計図の絵を見たのだが、今、古い寮がある場所には「木の枝」「葉っぱ」などの絵がデカデカと載っていたのだ。本当に載っていたのだ!

 その予定図を見た時に、私は大袈裟ではなく、深く深く絶望し、毎日、何とかしてこの寮を残す方法はないものかと、夜な夜な悩んでいた。

 そうは言っても、建物は、自分が住んでいた20年前の時点で、すでにかなりボロかったので、それから20年も経っているのだから、ますますもってボロいのは確かである。東京の直下型の大地震も、いつまたあるかわからないと囁かれている。私は本当に、あの建物がそのままあって、学生寮として使われ続けて欲しいと強く願っているが、無くなることを悲しむOBOGばかりでもないという事実もある。いつ、無くなっても、おかしくはない(※今は計画は変わりましたが!)。

 悩み抜く中で、無くなる建築の写真を撮って記録に残すことを、ライフワークのような活動としている方と話す機会があり、その方に相談したところ、寮の写真を撮って、設計者のインタビューなどを寮内で行い、インタビュー記事などをまとめて写真集などを作ったらいいのでは、という話になった。(その後その計画は自分のキャパ不足により頓挫してしまったが)

 きっと設計者は高齢であろうから、すぐにメールをするといい、というアドバイスをされた。そうか、と思って、そのアドバイスをもらった日にすぐ、設計した方の設計事務所をGoogleで検索し、思い切ってメールをしてみたのだった。

 実はあなたが設計した女子寮に住んでいたもので、あの独特の設計のおかげで寮生同士はとても距離が近く、20年近く経った今でも、その寮での生活を思い出すほどに数々の思い出が生まれた寮であった。正式にはまだわからないが、大学が出した今後のキャンパス計画では、もう、あと数年で無くなるかもしれないと言われている(※今は計画は変わりましたが!)。

 あの寮の独自の設計が、寮生同士の距離の近さに、影響を及ぼしたと思う。一生忘れられないような出来事がたくさんあった。本当に自分にとっては大切な場所であり、あの寮を設計してくださって、ありがとうございました、というようなことを大急ぎでしたため、メールをした。拍子抜けするほどにすぐに返信が来て、「ぜひ今度、寮でお会いしましょう」というような話にまでなった。彼は千葉県の本八幡に設計事務所を構えていた。本八幡。都営新宿線で、座って新宿まで40分ほどで行ける便利なところである。彼は割と近いところにいたのだった。

しかし、その後音沙汰がなく、それから、数ヶ月後に、奥様から、彼が亡くなったという旨のメールが来た。

入院してから、ずっと主人は、あなたからのメールのことをとても気にしていて、入院した日の朝も、朝からジムに行くほど、高齢ながら元気だったのだが、入院後に検査したところ、深刻な病気が見つかり、数値も非常に悪い状態であった。入院して間もなく、急激に体調が悪化して亡くなられた、ということだった。ほとんど苦しむこともなく、静かに亡くなったことが幸いだった、ということだった。

私があの頃、思い入れのある寮が木の枝になり果てる図面に多大なショックを受けて、設計した方にメールをしなければ、一生その思いは伝えられなかったのかもしれなかった。まさに、タッチの差と言えるようなタイミングで、その偶然にも驚いた。

卒業後、何年も、設計者のことを気にしていたのは理由があった。

20年以上前の学生寮で、「インフォメ」と呼ばれていた、電話当番をしていたある日のことである。

山高帽のような帽子をかぶって、ハロウィンの仮装なのではないか、と思われるようなしっかりとした黒いマントのようなものを着ている男性が、突然ピンポン!とチャイムを鳴らして寮にやってきたのだった。

「私はこの寮を設計したものです、ちょっと近くに来たので、久しぶりに見に来たくなって」

「へえ、そうなんですか」

電話当番をしていても、まず誰も来客は来ない深い森の奥なので、記憶に残っているのだが、私はそれほど驚かずに「そうなんですか」と彼を案内した。

寮の規定上、男性は1階の共同スペース以外には入れないことが徹底されていたので、彼は、入り口にしか入らず、寮の外観を少し見て、そして帰っていった。
最後に山高帽のような帽子を少しあげて、「じゃあ」と言って、足早に去っていったのだった。

寮がいつか無くなるかもしれない、などと考えたことが全くなかった当時、設計者の連絡先などを聞いておこうというような発想はなかった。

本当に彼が設計者だったのだろうか?

ただあまりにも面白い経験だったので、「今日この寮の設計者(を名乗る人)が寮にやってきたんですよ!」というようなことを、いろんな人に話したような気がする。

 今だったら100%虚言癖のある変質者だと思って、写真に撮ってtwitter(現:x)にあげて、逮捕を呼びかけたり、通報してしまいそうだが、20年前の当時、寮の玄関は日中鍵をかけていなかった(今はかけています!)ほどの牧歌的な世界だったので、「こんなこともあるんだなぁ」と思いつつ、「服装が独特だったなぁ」などと思っていた。国籍不明というか、一般的な日本人が日常的に被らないようなしっかりとした帽子だったのだ。

 後になって、男子寮出身の方が執筆された、寮を設計した方についてまとめた本を読む機会があった。設計者であった彼は、当時の日本人としては珍しく、有名なアメリカ人の建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%AC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%BA
のもとで直接建築を学び、MITなどでも学び、グロピウス(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%94%E3%82%A6%E3%82%B9
という建築の歴史に名を残す方による設計事務所でも学び、その後ICUの建築物のいくつかを設計し、亡くなる直前まで、日本の様々な建築の設計を手掛けていた、ということだった。

彼はアメリカと日本が戦っていた第二次世界大戦の終わりの頃に熊本で生まれ、家が揺れたので原爆が落ちた瞬間のことも記憶している、というような記述もあって衝撃を受けたのだった。

 彼が寮に込めた思いは、今の時代にはあまり届かず、その後建てられた寮はまるでこれまでとは異なる建築物になってしまったことは本当に残念であるが、あの時に女子寮の電話番中に会った山高帽をかぶっていた方は、本当に設計者だったに違いないと今は思っている。

以上です。

 


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