カオカタチ1
目的
小説を書く、創作をする、ということに目的はあるのか?
今は、書くということそれ自体を目的にしているといえる。
noteで書き始めて5年も経つがその先を見つけられない。
ここにだけ書きたいものを書ける時書ける分だけ書いて載せる。その繰り返しだ。
読んでくれたり交流してくださる方がいるから、ある程度のペースを守って書けるはnoteをやっていてよかったと思うポイントだ。
文章がうまくなりたい。
これには目的がはっきりある。頭の中にあるイメージを、それにいちばん相応しい形で発現させたい。
これはつまり小説としての文章をうまく書きたいということだ。
小説の文章は文体と呼ばれる。[文体]をうまく書きたいです、というとおかしなニュアンスになる。不思議だ。
ニュース記事やブログに対して[文体]という言い方を聞かない。
[文体]がよくわからない。
作家の個性と言われても、癖みたいなものかと思われる。
最近読んだ何かに、[文体]は作家が苦心して練り上げた技だ、のようなことが書いてあった。
とすると、話芸のようなものだろうか?
文章がうまくなりたい私は、始めたばかりの頃noteの文章をジャンル問わず読みあさった。
玉石混合だったが、私がうまい文章と思うものには共通点があった。
無駄がない。
ラフに書いてあってもテーマから脱線しても、[必要があることだけ]書かれている。
次へ次へとうまく誘導するように書かれているもの、読み手を楽しみませようとするもの、熱量で圧倒するもの、それぞれ工夫が凝らされていて勉強になった。
その中で、でも頭にすーっと入ってくる文章は総じて無駄がなかった。
シンプルという意味でなく、書きたい芯の所をうっかりかすませてしまわないような書き方、と言ってもいいかな。
でも実際書いてみると難しい。
「てにをは」ですらいまだに確信がもてない。
[目的]によって文章(もしくは[文体]となるのか?)は変わってくる、という所まで話を続けたかったが、30分ではここまでだった。
いつか、[うまい文章]の先の[書きたい文章]について掘り下げたい。
///書いた日2024・9・16(日)蒸し暑い///
読んでくれてありがとうございます。