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時間も感情も、収縮性の強いゴムのようだ【1/21】

「1月が、もうこんなに過ぎてしまったことが信じられません。」

「つい先日、年が明けたとばかり思っていたのになぜ。」

「桜のことはまだ考えたくもありません。」

そんなことを言いながら過ごしている。

1月がもう、22日めになろうとしているって重々わかってはいるのだけど、できるかぎり長く、2024年元旦の初心を抱いたままでいたいのだ。

たとえそれが、ものすっごくむだな抵抗だとしても、無情にすぎていく時間にたいして「抗いたいぜこのやろう」って気持ちを抱きつづけている。いつからこんな感じなのかはよく覚えていない。

ただ、少なくとも「夏休み」を知ったときにはもう、この気持ちは芽生えていたはずだ。となるともう数十年この思いを抱えていることになる。

ところで年があけた瞬間から、正月休みを満喫している数日の間は、1日1日がわりと細かく認識できていて、

「朝、何を食べた」「昼、何を食べた」「今日は1日どんなことをして過ごして、夜、何を食べた」というのを噛み締めながら過ごしていた。

なのに、仕事が始まった途端、そうもいかなくなっている。もう、なんか知らんうちに1日が過ぎさっているのだ。

ただ、これは、仕事が悪いとかそういうわけじゃないんだろう。正月休みの時間はすべて自分のために費やせていたけど(なぜなら、ひとり旅に出ていたから)、仕事の時間は、人とシェアすることが多い。

もしかして、人と時間をシェアしているときのほうが、時間にスピードを感じるものなんじゃないか。とくに取材や会議がある日は、あっというまにすぎていく。1日2回会議があった日と、ゼロ会だった日の時間の過ぎ方は、あんまりにも違いすぎて、もはやおもしろい。

とはいえ、時間がスピードを持つ理由は、必ずしもシェアの有無とは限らないのだろう。だって、めちゃくちゃに寝っつぷしていれば、ひとりで過ごす時間もあっというまにすぎていく。

時間という概念は、時と場合によってあんまりにもくねくねと、伸びたり縮んだりしすぎるのだ。収縮性の強いゴムみたい。

ところで去年末にカメラを紛失して打ちひしがれ、元旦早々にカメラを購入した。

カメラとはもう長らく、時に仕事道具としても触れ合ってきているのだが、それでもまだわからない操作がありすぎるので、買うときにはきまって「私は初心者です」というていで押し通すことにしている。

今回も、そんな感じでヨドバシの店員さんに話かけてみたところ、「初心者におすすめなのは、CanonかNikonのカメラです」と言われた。

それでNikonにした。かつてCanonのカメラをろくに使いこなせずまごまごした記憶が蘇ったのだ。

あと、露出(ざっくりいうと、明るさ・暗さの度合い)を即座に変えられることも決め手になった。「直感的に操作できる」という言葉にも惹かれた。

ほかの人がどう思っているかはわからないのだけど、私に関していえば、カメラのいいところとはつまり、スピードと思っているふしがある。「あっ、これは」と何かを気に留めた瞬間から、アウトプットにするまでの時間がとても短い。心が揺れた瞬間に、間に合ってくれるのがありがたい。

とはいえそれでも全然、「あ、間に合わない」ってことは多々あるのだけど。ただ、総じて刺激が多めな環境、たとえば旅行などでは、カメラのスピードに助けられる機会がほんとうに多い。

年始に中国旅行に行ったときにも、カメラのフットワークの軽さに何度となく助けられた。

しかも新しく買ったカメラときたら、情景の受け取り方がとんでもなく上手だった。きっと、いままで手にしたカメラのなかで一番いいレンズを搭載しているからだろう。

もうどうせ買うなら、ちゃんとしたの買ったほうがいいだろうって泣く泣く奮発したのである。

いいレンズは肉眼よりずっと光をやわらかく捉えるので、飯たちはきらきらと耀きながら、この世のありとあらゆる祝福を受けているかのように写る。


いや。飯どころではなかった。

札束はもちろんのこと脱ぎ捨てた靴下すら、劇的に写し出してしまった。

まるで3年ぶりに会った大切な人の靴下とか、今日ここで脱ぐはずじゃなかったのに脱がざるをえなかった運命の靴下に見えてくるからこわい。

勝手に物語がうまれだしてくる。

道具がいいってこういうことなんだ。

カメラのおかげで旅は盛り上がり、いつしか年末にカメラをなくした悲しみも忘れかけていた。

そんななか、飛行機に乗り遅れた。

目覚ましをかけ忘れて寝坊したのだ。

びっくりしたけど、どうにもならないので、できるだけ冷静にいられるようにつとめて、「ああ、乗り遅れが確定したな」と思ったすぐあとに一番安い航空券をアプリで購入したら、結構な額の散財が確定した。

にもかかわらず、旅行中に撮影していた情景を眺めていたら、まあ旅行は十分に楽しめたし仕方ないか、という気持ちも生まれた。

失った金額のわりに落ち込みが少ない。自分のせいでお金を失って、自分の出費に助けられてもいる。

時間ってゴムみたいってさっき書いたけど、感情もわりとゴムみたいだ。状況によって伸び縮みするから、毎回同じようには反応できない。

だからなのかな、世界を数値化するのがずっとむずい。

シャンシャンのごはん

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