コンビニのセルフレジにすっかり慣れてきたのがこわい【3/6】
近所のコンビニがめきめきとセルフレジ化している。
その波は去年あたりからじわじわとやってきて、最寄りのローソンが数日の閉鎖ののちにまるごと全部セルフレジに切り替わったときには、心の準備のできていなさのあまり、「セルフかセルフじゃないかを選択することは、できないん……ですよね……?」と答えのわかりきった質問を店員さんに投げかけてしまった。
店員さんは「そうですね、申し訳ありません」と申し訳なさそうに言っていて、この人の責任じゃないことを口に出してしまったことを猛省した。
いまではもうすっかり慣れて、バーコードのピッという音が以前よりもずっとそばで聞けるのが楽しいとすら思えるようになったけど、最初はほんとうに全然まったく慣れなかった。いや、もっとシンプルに「なにこれ嫌なんだけど」「抵抗するすべはないの?」とぷりぷりとしていた。
なんというか、一方的に、勝手にタスクを追加されてしまった気がしたからだ。
タスクとは下記である。
・バーコードにレジの機械を当ててピッと音をさせる
・どのサイズの袋がいいのかをチョイスする
・買ったものを手際よく袋のなかに詰める
これまでは、この一連の作業をすべて店員さんが担ってくれていたけど、セルフレジが導入されて以降はぜんぶ買い手のタスクになった。
タスクは増えたけど、それ以外は特に変わっていない。値段はそのまま。値段はそのまま。だけどタスクだけが増えたのだ。
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自分のなかにある、1円でも損をしたくない気持ちやちょっとでも得したい気持ちの連盟が、なにくそこのやろうとたぎった。
もしかしたら長い目で見れば、セルフレジ導入の効果でコンビニの運営コストが抑えられて、そのおかげで商品が値上がりせずにすむとかがあるのかもしれない。そうやって自分がゆるやかに得できることが起こるのかもしれない。でも、いまこの瞬間、タスクが増えたこと以外なにも変わってないのが不服だった。
*
セルフレジを受け止めたくなかったのは、コンビニの扉に手をかけるときの自分がたいがい疲労困憊だったからというのも大きいと思う。
どうにも包丁をにぎるのが無理そうなときや、「冷蔵庫のなかにあるもので何か適当に作ろう」の「適当」がさっぱり思い浮かばないとき。頭がこれ以上の稼働を拒否しているが、だからこそごはんを食べて英気をやしなう必要があるとき。
自分の足がコンビニに向かうのはそういうときが多いのだ。
そんなギリギリの人間は、ひとつでもなにかが追加されれば溢れる。たとえそれがどんなにささやかなタスクであろうと溢れるのだ。
セルフレジの野郎めと舌打ちをしたくてたまらなくなったときに、自分がこれまでいかにコンビニに救われていて甘えたがっていたのかを思い知った。
でももう甘えられないとなると変わり身は早くて、いつのまにかセルフレジにすっかり慣れていた。
慣れってすごい。慣れってこわい。いつまでもぷりぷりしているのは精神衛生上よくないからその点はいいんだけど、でも、慣れってこわい。慣れによってどうでもよくなっちゃった怒りの数を数えるのは、こわいからやめておきたい気がする。
ところでこのセルフレジの件、有人レジじゃなくなって過ごしやすくなったという人の意見もたまに見るのがとても興味深い。そういえば自分にも、人の気配に触れずに過ごせるほうが気楽だなってときがあるっちゃある。
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