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たぶん食べもの

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即興の散文。食べもののことを書きがちだけど、食べもののことがまったく書かれていないときもあります。
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#自炊

ドラマに捜一が出てくる割合が高い【5/3】

休むことに飽きるまで何もしないぞ。 そう思っててもだいたい、いつのまにか何かしてる。 まず、どんなときでも排泄は外せないし、1食ぬけばすぐにお腹が空く。携帯を充電する必要もあって、春から秋までだいたい花粉症なので随時、鼻もかむ。音が聴きてえ!っていう急な催促が自分からくることもある。 今日は急にモルダウを聴きたくなったのでモルダウをかけてみた。家のなかに充満しているモルダウ、曲の雰囲気としては切なさの度合いがたいそう満ち満ちになっているのだが、無性に休日っぽさがある。

塩とこしょうを別々に持つ必要性【4/29】

ここ数年でやっと「レシピをしっかり参照して料理を作る」と「おいしそうな食材をちゃんと選んで買う」を覚えた。このふたつの学びによって、わたしの自炊の味は飛躍的に上昇した(と思う)。 昔はほんとうに気分ひとつで調味料を配合していたのだ。味見こそしていたものの、だいぶ無茶苦茶だった。計量スプーンはきっと「この家では、自分の有益性がまったく実証される機会がないじゃないか」とさぞ寂しがっていたにちがいない。もしくは怒っていたのではないか。 塩とこしょうは別々に持っているほうがいいと

薬味を2つ以上のせると、胃から喜びの声が聞こえてくる【4/19】

時間はない。でも野菜を切ろう。 スナップえんどうのすじもとろう。 そらまめも剥こう。 そう決心した日があった。 そのおかげなのか、数日経ったいまも私は元気だ。 うっかりすると、5分あれば野菜をざっくり刻めることや野菜を食べると体が喜ぶことをすぐ忘れてしまう。 今度こそ心に留めたい。みょうがを3本細かく刻んで長ねぎとキムチと一緒にインスタントラーメンのうえにのせたら、しゃきしゃきとした歯応えが食べ終わりまで続いてとても爽やかだったことを。 * 住んでいるマンション

誰かが手を動かさないとうまれない【4/14】

先週末久しぶりに食事付きプランで旅館に泊まって、夕食や朝食のおぼんに載っているお皿の数の多さに圧倒されてきた。 お皿を見た瞬間、皿を準備する、調理する、盛り付ける、そして客が食べ終わったあとに皿を洗う……というあらゆる工程で生じる旅館の人たちの労力が脳裏に浮かび、誰かが自分のためにこんなにも時間を割いてくれていることに、ひしひしとありがたさを覚えた。 食事は誰かが手を動かさないとうまれない。にもかかわらず、自身は野菜を刻まず、フライパンを火にかけることもなく、ゆらゆらと席