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煙に巻けない全知全能の『田舎』

(CHEERZ投稿の全文です)


大嫌いだった銭湯に行けるようになった。
ここいらのジジババ大国のおかげである。
あと自宅から銭湯までのあいだにセブンイレブンと川があることも大きい。この2つは触れ合わずとも、存在だけでわたしの減ったライフを回復させてくれる。
特に、川はセブンイレブンの倍すごい。

ちなみに、セブンイレブンと川の他に、
歩ける中央分離帯・動く歩道・なにもなしの中に佇むガソリンスタンド・ど根性植物・オカルトハウス・ボロ屋の路地・わかりづらい三叉路
などもわたしのライフ回復ポイントである。

さて、いままでのわたしにとって、銭湯、もとい大浴場は、洗場ならぬ戦場であった。
そこは他人の垢と、赤の他人の卑しい目にまみれた場所。
そう植え付けたのは、潔癖で、自分の美に絶対の自信を持つ母であった。
だからわたしは、修学旅行ではいつも生理のふりをした。

母とわたしの関係を、ただ「悪いです」とだけ申し上げるのは簡単だが、その説明では不十分である。
とにかく、2人の間になにがあったかは置いておくとしても、わたしが自慰という名の自傷行為を自然に覚えたのは本当に幼い頃だった。

"子どもの自慰について(中略)行為を固着させる原因として、親の態度、家庭環境による子どもの周囲への不適応、精神的不安をあげている。その意味において子どもの自慰は指しゃぶり、爪かみなどの神経質習癖と同じものと考えてよい。"
(丹下庄一『自慰を主訴とする一幼児の心理治療過程』より抜粋)

それは風呂場が最初だった。

中学・高校くらいになると、同級生の男の子たちがその銭湯のフードコートを溜まり場にしはじめた。

妹がそのフードコートのそばとまぐろ丼のセットにハマった。

そんなことはそれぞれに全く関係がないのに、

何故かわたしはそれらのせいできえてなくなりたかった。

故郷とは、田舎でなくても田舎のような息苦しさがあるものなのだと、わたしは最近漸くわかった。
その息苦しさとは、教室でひとりで丸裸にされたような居心地の悪さ。蹲って、見られたくないものを隠す姿勢から、それ以上身動きが取れないような感じ。
全部の出来事を知っているからこそ、関係のない出来事同士のセル画が重なって辻褄を合わせ、そうして見えてくるクリアなカオスが気持ち悪くてたまらない。
だからずっと自分のことは誰にもわかられたくなかったし、せめてまっさらな透明人間になりたかった。

いま住んでいる土地は、わたしが18まで住んでいた土地と比べるとはるかになにもないが、わたしにとってはこちらのほうがよっぽど冷たくて都会的である。
そして、わたしとこっちの銭湯のオババたちのあいだには幾重にも、わかりあえない課題として湯気のように不透明なレイヤーがあり、わたしたちはきちんとそれらに包まれ、隠されている。

だからもう、銭湯で裸になっても恥ずかしくないし、閉場ギリギリの湯船でだってストレッチができるのだ。

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