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人間になる前の記憶


僕の一番古い記憶は雨だ。

雨の中をびしょ濡れになって歩いている。

雨の中でひとり。
ただ、雨の音と雨に濡れるのが楽しくて、ただ歩く。

誰もそれを止めはしない。
何故なら僕は幼稚園の先生に黙って外に出ているのだから。
他の園児たちは大人しく室内でお遊戯している。

でも僕は外にいた。
そうしたかったからだ。僕が。


これは僕の一番古い、僕がまだ人間になっていない頃の思い出だ。



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僕はかつて、他の幼児たちとはまるで違う子どもだったそうだ。

お遊戯中にひとりでどこかに行くのはもちろん。
目を離した隙に勝手に幼稚園を抜け出してしまうことや。
椅子を運んで火災報知器の非常ベルを鳴らしたことまであったそうだ。

これらは僕の記憶ではなく、大きくなってから幼稚園を訪れた時に当時の保育士から聞いたことだ。
幼稚園始まって以来の問題児で、嫌でもその顔と名前は忘れられないとまで言われてしまった。

この頃のことはほとんど記憶になく、きっと断片的にある記憶も大きくなってから両親に教えてもらったことを脳内で映像として再生しているのだろう。

幼稚園の頃の僕の記憶は一貫して雨の中をひとりで歩いている記憶だけだ。

それはきっと、この頃の僕はきっと何かおかしくて。
“人間になって”いなかったんだと思う。

それが病気なのかなんなのかは今となってはわからない。
少なくとも今の僕は内面的な疾患は見つかっていない。

誰にでも胸を張れるほど大層な人生を歩んできたわけではない。
けれど。今こうして最低限、人間として生きている。

それにはある理由…………いや事件があった。



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それは幼稚園のお遊戯会のことだった。

それまでに学んできたピアニカの演奏や隊列を組んだ行進を保護者や地域住人に公開する、幼稚園の一大イベントだ。

保育士と幼児たちはこの日のために毎日練習し準備してきた。
年長組、年中組、さらには年少組の幼児までもが。
今日が発表会であると理解し、前日から楽しみにしていた。

ただ僕を除いて。


僕はそもそも。発表会というものを理解していなかった。

人の話を聞かない。
どころか、自分以外の他人をはっきり認識できていたかどうかもあやしい。

ただ自分の心の赴くままに、獣のように生きていた。

無論、誰しも最初から人間であったというわけではない。
誰だって学び、成長していく過程で自分が人間であると学習する。
それが人間という生き物だ。

この時の事件が年中組の頃か年長組の頃かは判然としない。
だが、当時の僕が周りから明らかに浮いていたのは既に語った。


分かるということは分けるということ。
自分自身と他人をしっかり分けて考えることができていなかったのかもしれない。

ともあれ、当時の僕は何も分からないままに、僕だけが何も分からないままに保護者や地域住民の前に放り出された。

この時の話は何度も何度も両親から苦い思い出だと語り聞かされた。

田舎のコミュニティはとても狭く、奇行をはたらく子どももその親も奇異の目で見られるものだ。
折も悪くその頃は子育てブームとビデオカメラの普及が重なっていた。

他の保護者がみんなで行進する我が子をフレームに収めているなか。

僕と、僕を撮影しようとする僕の両親だけがまったくそっぽを向いていた。

保育士の先生方も、この日ばかりは行進から外れていく僕を引き止める余裕もなかったようで。
僕は演技の間中、ピアニカを持ってグラウンドをうろうろと徒然なるままに歩き回った。



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僕はこれらのことを覚えていない。

覚えてはいないが、一流企業に勤めていたプライドの高い父親が烈火の如く怒ったということは想像に難くない。

この時代のことであるからして、ごく当たり前のこととして体罰もあっただろう。
何がいけなかったのか、何故自分は叩かれているのかも僕にはわからなかったのだろう。


母親によれば、僕は説教の途中で家を飛び出したのだそうだ。

田舎とはいえ幼児がひとりで車道に飛び出せばどうなるかなど誰にでも想像がつく。
父親はともかく、母親は僕を追いかけていったらしい。

しかし、追いかけられる僕は必死で逃げ出したそうだ。

幼児の必死というのは、周りをまったく顧みず全力疾走するということだ。
母親が追いかければ追いかけるほど、僕の命は危険になる。
かといって、放置すればどうなるかもまた自明のことだ。


決して短くない公道での追いかけっこの末――――母親は泣き出した。

どうすれば息子を助けられるか、わからなかったのだという。

当時の母親の気持ちはこの歳になれば察してあまりある。

母親とはいえ、いい年の女性が道路にしゃがみ込んで泣くのだ。
それはそれはきっと目立ったことだろう。

母は、息子の理不尽な行いに腹が立って泣いたわけでも、ましてや自分の行いが恥ずかしくて泣いたわけでもなかった。

ただ、息子を助けられない自分の無力さに泣いたのだ。


その姿を見た僕は。

泣き崩れる母親に歩み寄り、「ごめんね」と言ったそうだ。


初めて僕は、誰かに言わされてではなく。

心から……自分以外の誰かのために声をかけたのだ。


この日、僕はやっと。母のお陰で。

人間になれたんだ。




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