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「女子」ではなく「人間」として生きる感覚

子どものころは、元気で明るくてケンカっぱやい性格でした。

クラスでは率先して「ドッジボールやろう!」というタイプで、授業中には元気よく手を挙げるタイプでした。

些細なことで男子と殴り合いのケンカをすることもしばしばありました。

虫取り網を持って近くの神社を走り回り、セミを大量につかまえて帰ってきて母を驚かせたこともあります。

祖父とはよくキャッチボールをして遊んでいました。

父親は殴ったり締め出したりバイオレンスな性格でしたが、わたしも張り合って殴りかかっていたのでお互い様というかなんというか。

とにかく、けっこう楽しく暮らしていた記憶があります。

そんな生活が変わったのは、わたしが小学校4年生にあがったころです。

好きな人ができました。体育の授業では男女別々に着替えるようになりました。男女に差があることを知りました。

そこからは早かったです。自分の容姿があまりよい方ではないと気づいたわたしは自信を失っていきました。

クラスでは権力の強い女子に嫌われないようにヘコヘコして、比較的地味目の子たちとつるんでいました。

アニメやマンガにハマって「オタク」と呼ばれるようになりました。楽しいけど、はたからバカにされている感覚は楽しくなかったです。

もちろん楽しかった記憶がゼロって訳じゃないですが、人生の中ではなかなか面白くない時期でした。

そんな日々は中学卒業まで続きました。

高校に入ってからは「ブスのいじられキャラ」になりました。女子のゴタゴタに関わらないためのわたしなりの処世術でした。

友人(?)には平気で「ブス」って呼ばれるし、みんなの前ではずかしめられてもニコニコしていました。

「いじってもらえるのが嬉しいんでしょ?」という質問に笑顔で「うん!」って答えていました。

家では布団で泣いていました。

努力のかいあってか、高校では女子のゴタゴタに一切巻き込まれていません。

大学は小さな女子大に入りました。ここでまたわたしの人生は変わりました。

すべりどめで入った大学でした。正直、女子大なんてゴタゴタしかなくて、またずっと道化のフリをしてやり過ごさなきゃいけないんだと思ってました。しかも今度は4年間も。

絶望の中で入学式を終えると気づきました、空気が違うと。

みんないい意味で他人に興味がなくて、淡白なんだけど優しさと助け合う心は持っている、そんな人たちばかりでした。

わたしがそれまでの人生で積み重ねてきた「女子像」が一気に崩れ去りました。

大学にいたのは「女子」じゃなくて「人間」だったんです。

大学では本当の自分でいられました。自分の「イタさ」や「性格の悪さ」など、負の部分もさらけ出せる、適度にスルーしてくれる環境だったんです。

その時の「女子」ではなく「人間」として生きる感覚を得られなければ、いまのわたしはないと思います。

その後も紆余曲折ありましたが、いまにいたります。

1か月書くチャレンジ
Day5「昔はどんな子どもだったのか」

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