学生のIT化に思うこと
コロナ前まで、高校に歌を教えに行っていた。
参照音源、伴奏、録音したものなどなど、生徒とやりとりしたいことがあって、私立高だし、iPadが義務化されてたし、当然、簡単にできるだろうと思ってた。
そしたら、学校独特のネットワークセキュリティーがあるとのことで、一向にうまくいかない。
先生経由もできない。
学校に生徒の人数分パソコンがあるんだけど、Wi-Fiが脆弱過ぎて、教室内で入らない。
パソコンが古過ぎて、ファイルのやりとりができない。
↑こんな風に書くと、「学校が悪い」みたいに思えるかもしれないけど、そうじゃなくて。
そんなとき、サクッと生徒たちが自分の端末を出してくれて、わたしの自前端末とやりとりできたら、何もかも解決だったのに、わざわざ5世代くらい古いシステムに戻って、重いデータのやりとりができない状態にならなくてはいけないという、全然IT化じゃないことになっていたのだ。
ストレスだということ以上に、「なんだこれ」という感想だった。
現場の先生たちは他のことを考えているようだったけど、とにかく、お上の命令と決定により、「電話を使うために手紙を出す」みたいな、変なことになっていた。
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今回、高校生たちが中心になって公演を企画することになり、すぐに手掛けたのは、教室内にゲストWi-Fiを引いて、子どもたちが自分の端末を自由につなぐことができるようにする、ということだった。
別にいつ使っても、どう使っても、そんな決まりは作らなかった。いつ文具を出してメモ取るかなんて、ルールは要らないのと同じ。
他の面でも、「できるだけ決まりを作らない。生徒が自分で考える」ようにしてきたので、まず、どうなるのか観察しようと思って。
ホワイトボードに書いたことを、メモを取る子もいればパシャっと写真を撮る子もいた。
全員が撮るんじゃなくて、誰かが撮ったものをLINEで共有してた。
全然いいじゃん、それで。
指導が必要だったのは、その「方法」ではなくて、
「何らかの形で記録を残しておいて、それを活用するんだよ」
ということだ。
「ノートを取りなさい」ってことじゃなくて、大人でもメモや記録を残さない、残したことが「残す」という目的になってしまい、活用ができない人は多い。
一番重要なのは「情報を活かす」ということだ。
写メだろうが手書きだろうが、そんなのはどうでもいい。
耳で記憶する子もいる。
イメージでなんとなくやる子もいる。
書かないと頭に入らない子もいる。
大事なことは、「自分に何が合っているか」を見つけることだ。
IT化を「管理と制限」をベースにすると、ほんとに、その沼から抜け出すことができない。こっちも不便極まりない。
まず「自由」をベースにしてみる。
レッスン中にTikTokを見たり、LINEの返事をしたりする子がいたとして、
正直、そんなの、どうでもいいじゃん。
レッスンが崩壊することもないし、そっちに食われることもない。
わたしだって、授業中に漫画読むわ、落書きするわ、寝るわ、お菓子食べるわ、やりたい放題だった。だって授業がつまんなかったもん。
それで勉強していないかっていったらそんなことはなくて、家でも誰にも管理されてなくても、やるのはやる。やりたくて、必要だと思ってることなら。
公演に向けて、全く問題なく、演目の練習は続いてる。
休んだ子は勝手にLINEでオンラインをつないでたり、アプリを使ったり、どんどん工夫して練習していて、もう、今さら「端末使っちゃダメ」なんて言ったら、不具合だらけ。
その途中にチラッとインスタ見るのは、別に、どうでもいい。
レッスンのことをストーリーに上げてる子もいるみたいで、OGから「先生、今、これやってるんでしょ?○○ちゃんのストーリーで見た」とか言われる。
それが彼らのコミュニケーションで、別に何も問題じゃない。
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子どもたちにネットワークを開放してやって、自由をあげたら、たぶん、日本の学校や学習におけるIT化は一気に進む。
端末どころか、紙ベースでだって「情報をどう扱うか」ができていない大人が、「言うことを聞かせる」「管理する」「制限する」ってことばっかり考えている限り、
どんどん、世界から置いていかれるね。
使い方のノウハウは別に教えなくていいんだよ。
目的と概念だけ伝えたら、今の子どもたちはよほど上手に解決策を自分で考えられる。
考えられない子は、管理じゃなくて、別な教育が必要なだけ。
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