見出し画像

【書籍紹介】「言葉にできる」は武器になる。

言葉は人に伝えるためのコミュニケーションツールであると同時に、思考を育てるためのツールでもあります。

この書籍では、思考を言語化したものを「内なる言葉」と呼んでおり、この内なる言葉を成熟させ、思考を高め、その上で「それをどうやって人に伝えるか」を考えることによって、本当に胸を打つ言葉に表現できる、ということが紹介されています。

子育てにおいて、中学生以上の子どもとは、議論をして、子どもの胸に響く言葉を親としてしっかりと伝えなくてはいけない時期がきます。言語化ができないために、思春期以降の子どもとうまくコミュニケーションをとって、親としての考えやポリシーを伝えることができないケースは案外多いのではないかと思います。

「まずは抱きしめる」という時代とは少し違います。効き目がない、ということではないですが、子どもはもっと、親の言葉を聞きたいし、自分の言葉も伝えたいと願っていると思います。

そうやって、自分を知り、親を知り、分離して自分を高めたいという欲求が出てくるのが思春期なのではないでしょうか。

思春期になっても、頭ごなしに命令したりイヤミを言ったり、もしくは気を使いすぎてオロオロと真意を勘ぐったりしているだけでは、大事な伸び時をもったいなくやり過ごしてしまうことになりかねません。

思春期以降の子育てでは、親の「思考の深さ」と「言語化」がとても大切になってくると思います。

いくつか、参考になる部分を引用してみます。

1. 具体的な方法としてのスキルは理解できるものの、スキルの使い方の指南まで事細かにされているわけではなく、自分が抱えている課題に応用できない

2. 提示される技術を「型」として理解してしまうため、型に縛られてしまうことで逆に不自由さを感じてしまう

3. スキルはあくまでも、その人自身の経験から抽出された方法論であって、同じ経験をしていない第三者が真髄までを理解することはできない

なぜ、いい話を聞いても実行に移せないのか、ということにも通じると思います。

子育ての「こうするといい」という具体的なやり方は、その場しのぎでしかありません。

グズらせないようにするには、泣かさないようにするには、宿題をやらせるようにするには、などなど、ノウハウはノウハウでしかありません。

子どものアイデンティティーに深く食い込むのは、親のポリシー、思考だと思います。

このように、求めずして思わぬ発見をする能力のことを「セレンディピティ」と呼ぶ。日本語では「計画的偶然性」と訳されることも多く、意味を解釈するならば「計画された偶然」となり、ただの偶然ではないことが分かる。  

この「計画された」という部分をさらに深堀りしてみると、日頃からの課題意識と行動によって潜在的に情報感度が高くなり、気づく力が強化されている状態と言える。つまり、無意識の意識が、目の前で起きる事象に意味を与えるのだ。

思考が鍛えられることによって、それまで「世の中にあったとは全く気づかなかったものや考え」に気づくことができます。

子どもの教育についての考えを鍛えることで、さらに深い知識や情報に触れることができるようになります。親として、どんどん成長することができます。

自分が持っている常識とは、多くの場合、自分の世界における常識に過ぎず、他人の常識とはズレが生じている。

ノーベル賞受賞者であるアルベルト・アインシュタインは、この真実を「常識とは十八歳までに身につけた偏見のコレクションのことをいう」という言葉で端的に示している。  

この言葉が示しているように、自分の常識とは自分が育ってきた環境における常識でしかなく、他人にとっては非常識であり、言葉を換えれば先入観であることが多い。  

つまり、真逆を考えることは「自分の常識や先入観から抜け出す」ことにつながり、半ば強制的に別の世界へと考えを広げていくことなのである。

あいたたた、まんま、「子育ての冷静なまなざしを邪魔している先入観」の話のようです。

人は常に自分という壁の中でしか物事を考えることができない状態にあるのだ。その壁を越えるためには、他人の視点から考えることが最も効果的である。

善悪、正誤に限らない、たくさんの話、議論、意見交換の機会が減っているように思います。

そのためにも、まず、自分が今「自分という壁」の中にいることを意識することから始めたい。この事実に気付かないままでいると、無意識のうちに「自分が考えることは正しいに決まっている」「自分が言っていることを、分からないほうがおかしい」と自分本位かつ排他的な感情を持ってしまうことになる。

これも子育てにそのまま置き換えることができますね。

「時間があったらやる」ということは「時間がなかったらやらない」と同意である。日々を忙しく暮らしている現代人には、余ってしまった時間は生まれにくい。

自分と向き合うというと、空き時間にできてしまいそうな気がしてしまう。実はそこが落とし穴になっているのだ。

「自分に向き合う」ということを経験していなければ、「子どもに向き合う」ことも難しいと思います。

この「子どもに向き合う」ということが、何が起きてもなんとかできるという、親としての自信をつける唯一の方法だと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?