子どもの自粛を終わりにしてください
浜松市で音楽教室をやってます。
昨日、浜松市が蔓延防止等重点措置の適用地域になりました。
でも、うちの音楽教室は、レッスンをやります。
保護者様に向けて、こんなおたよりを送りました。
* * *
いつもお世話になります。
2020年3月、北区deまつりの中止からミューレdeまつり生配信、すべてはそこから始まりました。
4月はお休みをいただき、体制を整え、5月からオンラインレッスン。
あの頃は大変ではありましたが、まさか、1年以上経過し、収束どころか、さらに悪化している状況だとは予想もしていなかったように思います。
甘く見ていたわけではありませんが、現代社会の科学と知恵をもってして、まだこの状況とは。
今日は原爆記念日です。
戦争中に比べたら、食べ物はあり、安全に外出もできていることには感謝ですね。
わたしは、要所要所で、自分なりに判断と決断をし、「ミューレはこれでいきます」とお伝えしてきました。
その都度、社会情勢を鑑み、誰かの言う通りにするのではなく、子どもたちを最優先に考えてきたつもりです。
そのために、注意深く子どもを観察してきました。
オリパラが開催されることは、ミューレ代表としては反対でした。
・オリンピック関係者から感染者が出ていて、広がっていること
・それを止めきれないこと
・オリパラ開催が自粛生活破綻の引き金になること
・外国人選手による、日本の風習風土に合わない行動(大人数でのマスクなしパーティなど)
・注意し切れないIOC
どれも、予測した通りで、「そうはならない」という政府の宣言を虚しい気持ちで聞いていました。
2020年10月、対面レッスンを再開するにあたり、LINEのオープンチャットにて、匿名でみなさまの率直なご意見を伺い、最終的にわたしの独断で「ミューレ 子どものためのコロナ対策基準」を設定いたしました。
先ほど、Facebookにこんな投稿をしました。
【子どもに自粛させるのは終わりにしろ!】
オリパラをきっかけに「自粛が緩んだ」とか言ってるけど、
わたしの教室の保護者様と生徒たちは、もともと良識のもとに慎ましく生活しているような方々だった。
そこにさらにミューレ独自の「レッスン参加基準」を保護者様と話し合って決めて、守ってもらって1年半を過ごしてきた。
それはまるで、もともと制限速度を守って運転していた方々に、
「制限速度は40キロだけど、ミューレでは20キロにさせてもらうから、今はそれに従ってね」
とお願いするようなものだった。
それに従ってくれたのは、コロナが怖いからじゃない。
何より、「大人が力を合わせて、子どもの学びの環境を守ろう」という思いからだったと思う。
オリパラが始まっても、時速20キロ制限のままだった。
誰もが守り続けていた。
それなのに、
「よっしゃー!」と危険運転をする人たちが浜松に乗り込んできた。
その結果、「危険運転が止まらないから、全員、車に乗らないように」と、時速20キロだった人まで、すべてを禁止されている。
そのことによって、ようやく20キロで音楽体験を積んでいた子どもたちが犠牲になっている。
歌を歌えない。
合唱できない。
手を繋げない。
楽器を共有できない。
実際にはしてるけど。
そのための20キロだったのだ。
もう、いい加減にして欲しい。
子どもは何も言わない。
何も思っていない顔をする。
それが子どもだ。
たとえ虐待されていても、「まだ大丈夫そう」という顔をする。
ましてや言葉で訴えることはない。
それが子どもなんだよ!
この経験がじわじわと子どもの心を蝕み、日本の根底に影響する日が来るのは必至だ。
「どうせ何かやろうとしたって、大人のひとことで突然中止になる」
1年半に渡って、何度もこの経験をさせてきた。
「学校が休みになるんだって」
「行事がなくなるんだって」
「音楽教室のレッスンが中止だって」
その都度、せいぜい一部の子が家庭内で文句言ったり泣いたりする程度で、子どもが結託して世の中に
「ぼくたちの人生をなんだと思ってるんだ!
ぼくたちの未来を返せ!」
と訴えることはない。
なぜか。
何も思っていないからではない。
子どもは恐るべき順応性を持っており(そうじゃないと生きていけないから)、「これが普通」と思っているからだ。
しっぺ返しが来るのは、子どもが社会に出て、
「あれ?
あのときのアレは、防ごうと思ったら防げたのか?
ぼくたちは、強いられていたのか?
別な選択肢もあったのか?」
と気づいてからだ。
おそらく、大半の子は立ち上がるのではなく、無気力になると思う。
「自分たちは大切にされていなかった」と気づくからだ。
社会全体のことを考えるベースは粉々に崩れている。
刹那的になり、今、目先が楽しければいいという考えになる。
明日はどうなるか分からないから、自分さえ良ければいいや。
もしくは、何も考えず、何にも疑問を持たず、言われたことにただ従い、漂うような人生。
そうしたのは大人だ。
今、動けている我々が動けない老人になって、支えてもらわないといけなくなったとき、
「は?
おまえら、誰も俺らのこと支えてくれなかったじゃん」
そう思われても当然だと思う。
その頃には、今、日本を動かしている老人たちはもうとっくに死んでて、痛くも痒くもない。
日本社会を支えるために、さまざまな体験を積んで、人間的に成長する機会を奪いまくった結果だと思う。
今、子どもたちがおとなしく従っていることが、「良い子」だと思わないで欲しい。
なぜ、浜松の片隅に静かに暮らしている子どもたちまでもが、「みんなで歌を歌う」ことを辞めなくてはいけないのか。
このとばっちりは、絶対に10年後にどかんとやってくる。
今、わたしが考えていることは、この通りです。
これ以上、ミューレの子どもたちが犠牲になることはないと思います。
もちろん、コロナ感染も防がなくてはいけません。
それと同時に、長期的な視野で見たときの子どもの心(傷つくとかだけじゃなく、大人になったときにどんな価値観で行動するか、ということ)を考え、親の接し方によって、今後、どう生きていくかに影響することを考えた方がいいと思います。
わたしは、数年後、
・マスクなしでは人に会えない
・人の表情が読めない
・表情を変えることができない
・コミュニケーションが取れない
こんなことが問題になる日が来るのではないかと思います。
また、
・面倒くさいから何も考えずに決まったことに従う
・覇気がない
・自分で考えられない
・判断できない
・懐疑的な試行錯誤を持って、自分の意見を構築し、礼儀正しく主張することができない
こういうことも問題になってくると思います。
社会の情勢を鑑み、わたしは、10年後、自分の考えを持って生き抜く子を育てるために行動することにシフトします。
わたしは、重度の薬アレルギーがあり、ワクチンを打つことがとても怖かったのですが、もう、打ちます。(ぶっ倒れてもいい日にちを考えてると全然予約取れないけど)
ワクチンで全てが防げるとは思っていませんが、少なくとも「行動します」という多少の免罪符にはなります。
9月から、クワイヤ(子どものポップス合唱クラス)を再開します。
絶対に感染しないということは、もう、どこでも言えません。
ミューレ内で絶対に感染しないように予防することは、子どもの性質上、不可能です。
抱き合ってるし、大笑いしてるし、鼻ほじってます。
それが子どもです。
ですが、子どもなのに、もう、わたしが何も言わなくても手を洗います。
先日、高校生たちがお泊まり会しました。
わたしはもう、何も規定を作りませんでしたが、自分たちで感染予防はしていました。
子どもは十分、やっています。
「異年齢で交流し、ひとつの作品を仕上げる」という、これまで通りのプロセスにより、子どもたちが将来を生き抜くための力を育てます。
その方がはるかに大切です。
ミューレの対策基準は一度も緩めていません。
これで十分だと思います。
「感染するような行動をしていない人のみが集まる」
今まで通り、この方針でいきます。
これはわたしの考えです。
ミューレの代表なので、独断で提示させていただきます。
ですが、ミューレは「多様性」によって発展する文化を築いてきました。
その後、保護者様がどう考えるか、どう行動するかは自由です。
海外旅行に行ってもいいと思います。
帰省してもいいと思います。
そのことと「何も気をつけていない。人に感染させても平気」ということは全く違います。
ただ、その後1週間は休んでね、ただこれだけです。
「先生はそう言うけれど、やっぱりうちは怖いからオンラインにするわ」
それも自由です。
ひとつ付け加えるとしたら、この1年半が、子どもの将来に与える影響をそろそろ考えてください。
みなさんの選択基準、行動基準が、子どもの判断力に影響します。
ちなみに、わたしが息子たちとコロナ禍での行動に対して議論したり、たしなめたり、指示することはありません。
ふたりとも、個人、社会、家族のことをたいへんバランスよく考え、潰れすぎず、やり過ぎず、自分らしく判断して生きていると思います。
それは、わたしが自分らしく、自分で考えて判断した姿を見せてきたからだと思います。
ミューレの子どもたちも、ひとりたりとも傍若無人に振る舞っている子はいません。
これ以上、何を制限しなくてはいけないでしょうか。
あとは大人が考え、大人が行動することだと思います。
具体的には、もう一度、参加基準を見直していただき、「ミューレのレッスンでの感染リスクをできる限りゼロに近づける」、この方針でいきませんか。
また、社会全体として、わたしひとりで何ができるか分かりませんが、今、大切なことは、感染者の治療体制が整うことだと思います。
せっせと税金を納め、正しく使ってもらい、医療体制を改善し、医療関係者のみなさまにきちんと相応の賃金が払われますように。健康が補償されますように。
最後に、クワイヤを再開したら、子どもたちと歌おうと思っている歌をご紹介して終わりにします。
冒頭だけでも聞いてください。これが、今、子どもたちにわたしが贈りたいメッセージです。
この歌を、子どもたちの声で歌われることを、ぜひ、想像してみてください。
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