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音楽教室の生徒が壁に絵を描いた

2016年末から2017年のお正月にかけて、清水香澄ちゃんがミューレに壁画を描きました。


香澄ちゃんって、こんな子でした

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香澄ちゃんがミューレに入ったのは、小学3年生のときでした。
弟が年少さんから来ていて、家がご近所だったので、よく外で見かけました。

その頃の香澄ちゃんの印象は、「腰まで髪を伸ばしていて、いつも走ってる女の子」でした。

リトミックを習いに来てからは、中3で辞めるまで、「つかみどころのない不思議な子」という印象。

自分のことをペラペラしゃべるタイプではないし、泣いたり笑ったりの喜怒哀楽が激しい子でもなかったので、ごくごく「普通の子」かと思いきや、なんか学校生活では悲しい思いをしていたりする。でも、会うとそんな様子もあまりなく、ひょうひょうとしていました。

すごく長く通ってくれた割に、ものすご〜く楽しそうでもなく、リトミック大好き!って感じでもなく、音楽に特別興味がありそうでもなく(どちらかというと、外を走り回って遊んでいる方が楽しそうだった)、「どうして続けてるのかなぁ。」と思っていました。(いえ、もちろん、嬉しいのですが。他の子は、「先生大好き!」とか「リトミック楽しい!」とか「音楽面白い!」とか、何らかのアクションがあったので。)

ただ、「あ、この子、だからミューレに来ているのかも。」と思ったことがひとつだけありました。

当時、香澄ちゃんはバンドクラスに所属していました。

バンドクラスは、ギターとドラムの先生(・・・というか、わたしのバンド仲間)に来てもらって、指導していました。
子どもにバンド演奏を教えるのは全員初めて。
どうしたら演奏の楽しさを伝えられるか、発表では何をやらせるか、いつも3人で意見を交わしていました。

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香澄ちゃん(小6くらいかな?)

なぁなぁな話し合いでもケンカでもなく、より良くするにはどうしたらいいか、子どもが見ていようが待っていようがおかまいなしに、大人が熱く語る姿を、香澄ちゃんはいつもじーーーーっと黙って見ていました。

わたしは、「この子は、人の真剣な姿が好きでミューレにいるんだな。」と思ったのです。

辞めるときもすごくあっさり、すぅーっと。何かイヤになったとかではなく、なんとなく潮時というか、自然な感じでした。

教育というのは、与えたその瞬間の反応だけを期待していてはいけないと思います。

今、嫌われたり「はぁ?」と思われたり、反応が薄かったりしても、いつか、必要になったときに「そういえば、こんなこと言われたような?」とふと芽を出し、その瞬間を見ることはできない覚悟を持つことが、子どもの教育に携わる者に必要なことだと思っています。

「先生、壁に絵を描きたいです」

「先生!」

あるとき、近所のショッピングセンターできれいなお姉さんに声をかけられました。

すっきりと上品なお化粧をして、わたしを見下ろすほど背が高くて、「誰だっけ?この顔、すごく見たことある!でも、誰だっけ??」。そのくらい、走るのが好きなひょうひょうとした女の子は、すてきな女性になっていました。

偶然の再会をきっかけに、「先生、話したいことがあるんだけど、時間ありますか?」と、ちょくちょくミューレに来るようになりました。「この子って、こんなにミューレのこと、わたしのこと、好きだったっけ?」というくらいでした。

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きれいなお姉さんになった香澄ちゃん

そして、2016年夏、デザインの専門学校に通うようになっていた香澄ちゃんが、「ミューレの壁に絵を描きたい。」と言い出しました。

わたしは、答えるまでに一晩考えました。
一晩のうち、2秒ほど、迷いました。

ミューレは、1年半前に新しくしたばかり、壁は真っ白なのです。
真っ白な壁に、学生に絵を描かせて良いものか、2秒迷ったのです。
「描かせてよいものか」というより、「わたし自身がGoを出したことを後悔しないか」ということでした。

次のような最悪の事態を想像しました。

(最悪の事態・その1)すっごく変な絵を描かれたら?

わたしは、香澄ちゃんがどんな絵を描くのか、見たことがありません。
ミューレに来ていた頃、絵が好きな子という印象もありません。
センスも知りません。

もしかしたら、「先生、子どもたちが喜ぶと思って!」と嬉々とした表情で、アンパンマンをドーンと描かれてしまうかもしれません。
そうしたら、わたしはなんて思うだろう?と考えました。

・・・面白すぎます。

きっと、「アンパンマン描くとは!」とネタにして笑いそうです。

誰でも良いわけではなく、小3から教えた子が描くのだから、「そう来たか!」と、きっと笑えるでしょう。
いえ、笑い者にするという意味ではなく、まるで孫を自慢するように、「あのね、卒業生が来てね、絵を描いていったの!ミューレにアンパンマン!思い切ったことするでしょう?」って。

というわけで、答えはGO。

(最悪の事態・その2)にっちもさっちもいかなくなって、途中で頓挫したら?

学生のやることですから、充分あり得ます。

思ったような絵が描けないとか、大きさを甘く見ていたとか、材料を間違えたとか、時間が全然足りないとか。

・・・そうしたら、壁紙を剥がせばいいや。

壁紙はまた貼れるけれど、「学生時代の香澄ちゃんが、ミューレの壁に絵を描きたいと思う気持ち」は、今しかありません。

白い壁紙と「今の香澄ちゃん」を天秤にかけました。
今しかできない、香澄ちゃんのかけがえのない経験の方が勝ちました。

というわけで、答えはGO。

2秒で気持ちは「GO」に決まりました。

今しかできないこと

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香澄ちゃんと同級生の圭太

GOと思った以上、好きなようにやらせることにしました。

しっかりしているとはいっても学生です。

「こんな絵にして、ここに描いて、こういうことは辞めて。」と指示を出したら、きっと萎縮してしまうでしょう。

そんな萎縮は、社会人になってイヤというほど味わうことでしょうから、わたしは、何も言わないことに決めました。

わたしは自分が大学生だった頃を思い起こしてみると、本当に怖いもの知らずで、香澄ちゃんとは比べものにならないほど、自分を過信した礼儀知らずのガキでした。

大きな口だけ叩いて、すんでのところで大失敗して人に迷惑をかけたりしました。

けれど、あの頃、それでも社会から排除されることなく、(おそらく失笑しながら)受け止めてくれる大人がいたから、今のわたしがあると思うのです。

そして、世間知らずならではの、今のわたしには真似のできない勢いと熱さがありました。それは少し、うらやましいとすら思うのです。

香澄ちゃんが社会に出て、デザインで仕事をするようになったら、きっと、2〜3年目に誰もが経験する壁にぶつかるでしょう。

「もっと実務がやりたかった。
こんなことを朝から晩までやるために働くつもりじゃなかった。
わたしはこのままでいいのかな。
何か他にできることがあるんじゃないかな。
もっと、楽しいと思ってた。」

きっと、最初はつまんない小さな仕事、または、誰かの補助しかやらせてもらえないでしょう。

経験したことがないから、その先に何があるか分からなくて、悩む日も来るでしょう。

けれど、そんな下積みの日々にこそ、学んでおくことがいっぱいあって、やりたいことや夢を見失わずに、「今は夢のための準備期間だ。」と思える子が、楽しくやりがいのある仕事に到達します。

迷いの日が訪れたとき、ミューレをのぞいて欲しいのです。

そこには、「ただ、やりたいようにやれたことがあった。楽しかった。いつかまた仕事でやりたい。」と思い出させてくれる、自分の作品が残っています。

「ここからここまでの間だったら、何を描いてもいいよ。
ひとつだけ、ミューレらしさというのは香澄ちゃんなりに考えてね。」

途中、何かを考え込み過ぎて、デザインに行き詰まったときがあったそうです。

「香澄ちゃんが好きなようにやればいいんだよ。」と言ったら、「なんか、シンプルに考えればいいんだな、って思った。」と言っていました。

自分で何か解決をしたようでした。
色も材料も行程も、わたしはひとつも何も言いませんでした。
文句も言わないけど、助けもせず。
全部、自分で考えて、自分でアポを取って、自分で材料を揃え、困ったりしながらもちゃんと解決策を見つけて、進めていました。

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圭太も手伝いに来てくれました

みんなで描く

香澄ちゃんは、最初から「子どもたちといっしょに描きたい。」と言っていました。

わたしは、「またまた〜。子どもに描かせるって、大変だよ〜・・・。」と、若干、冷ややかに聞いていました。
調子に乗って汚くなることが目に見えていたからです。

わたしは、「香澄ちゃんの作品」には賛成だけれども、子どもたちは香澄ちゃんの思いには関係なく目先の楽しさだけで塗るだろうと思ったので。それは意に反するのではないかなと思っていました。

「子どもって、そんなに天使みたいに素敵じゃないよ。特に男子。理想通りの展開になんかならないよ。」と。

1月4日、ミューレで、好きなときにふらっと来て、好きなときに帰る新年会をやりました。

そのとき、香澄ちゃんが子どもたちに色を塗らせていました。

お見事でした。
特別な指示も出さず、よく思い切ってやらせられるもんだな、というくらい。
何も言われないから、子どもたちも好きに塗ったり、好きに飽きたりしていました。

幼稚園児も塗ったので、とっても汚いところもありました。
遠くから見たらそれっぽいけど、近づくと笑っちゃうほどでした。

そもそも、「理想通りにはいかないよ。」というのはわたしの勝手な憶測であって、香澄ちゃんは最初から、「ただいっしょに塗れれば良かった」んですね。

こういうとき、ほんとうに大人はだめです。

香澄ちゃんには「子どもが塗ったところもそれなりに仕上げて。」と言ったら、子どもたちが間違えて塗料を付けちゃったところも上手にカバーしてくれました。

映像を勉強している、香澄ちゃんの同級生の淳史くんが撮った映像を見たら、「なるほど、子どもたちの表情を見たら、やっぱり塗らせて良かったな。」と思いました。やはり、「香澄ちゃんが思ったように好きにやらせる」ことが大事だと改めて思いました。

実際、仕上がってから、いっしょに塗った子どもたちはとても誇らしそうに「ここを塗ったの!」といばっていました。
教室に、そういう思い入れができるのはわたしには予想外でした。

いつも思っていることですが、わたしひとりの考えや感性だけで物事を進めると、感動や驚きは生まれません。
ミューレは、違う発想が交わる交差点でありたいと思います。
そのためには、わたしが余計な予想を立てず、好きにやらせることがいちばん良いのです。

仕上がったあと、思ったこと

ついに壁画が仕上がりました。

最初、「描きたい。」と言ったときに、わたしは、「ここなら自由に描いていいよ」という場所を3カ所提示しました。

香澄ちゃんは、すべてに絵を描いて、締め切りに間に合わせました。

仕上がった絵は、わたしも気に入ったけど、何しろ、周りに大好評でした。

手伝った子どもたちもスタッフも、Facebookで仕上がりを見た保護者さんたちも、大絶賛でした。

わたしは、それこそ親バカみたいにあちこちで「すごいでしょう?すごいでしょう?」と自慢しました。

ミューレを作ってくださったぬくもり工房さんにもお伝えしたら、以下のようなコメントをいただきました。

素晴らしい作品ですね!
あの柱が、まさかこんなに生き生きとした樹になるなんて
素晴らしい感性です。
外壁やテーブルも、見事なアートです!
坪井様の芸術的なご指導が、こんなに素敵な形になったんですね。
今後もとても楽しみですね!

香澄ちゃんがこんなに素晴らしいセンスと実行力を持った子だとは、仕上がるまで知りませんでした。

「どのくらい打ち合わせしたの?」
「デザイン画を見せられたの?」
など、同業者からは「実際のところ、どうやったのか」という質問がありました。

「よく描かせたね。」とも言われました。

もしかしたら、こうして、素晴らしい絵に仕上がったところを見た方には、素敵になると思ったから描かせたと思われるかもしれませんが、わたしは、今でも結果は結果でしかないと思っています。

仕上がりが素晴らしかろうが、ひょっとしたらとんでもない駄作だろうが、わたしにとって大事なことは、香澄ちゃんが今しかできない経験をした、ということでしかないことが、終わってみてよく分かりました。

そうして、わたしは、自分がミューレで何をやりたかったのか、子どもたちに何を教えたかったのかという想いがあふれてきて、このサイト(旧サイト)のトップページを止まることなく一気に書き上げました。

わたしは、ミューレの子どもたちにとって、必要なくなって、思い出しもしなくなって、過去の関係ない人になってもかまわないと心から思います。それが、この香澄ちゃんのプロジェクトを通してよく分かりました。

活躍を知ることがなくても、素晴らしい結果を出さなくても、どこかで自立していることを誇らしく思います。

画:清水香澄
専門学校ルネサンス・デザイン アカデミー
映像:福井淳史
日本大学芸術学部放送学科
音楽:作曲/鎌田香織、編曲/坪井佳織
出演:音楽教室ミューレの子どもたち


今年、香澄ちゃんと圭太は成人式を迎えました。

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