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ぼくがまもってあげるね

おさんぽリトミックの最終回に、こんな絵本を読みました。

「ぼく」はテディといっしょに森の中に入っていきます。「だいじょうぶ、こわくないよ、ぼくがまもってあげるから」。

けれど、がお〜っという声、道にまよったみたい・・・、どんどん不安になっていく中、いつの間にかテディが変わっていきます。

0才の赤ちゃんは、100%、親に依存していて、お世話をしてもらわないと生きていけません。

0才と1日、すでに赤ちゃんは、昨日よりもほんの少し、自分の力で生きていこうとします。

1才、2才、まだまだおひざに入って、不安そうにその世界を見つめています。

幼稚園、小学校。まだまだ、「うわーん!」と泣いて、抱っこしてもらったり、背中をヨシヨシしてもらったりして、解決することがいっぱいあります。

でも、もし、18才の大きな子が、うまくいかないことを「うわーん!おかーさん!」と泣いて助けてもらおうとしたらどうでしょう?ギョッとしますし、それじゃ困ります。

では、一体、どのタイミングで、親は「うちの子、しっかりしたな。もうひとりで大丈夫だな」って思えると思いますか?

実は、「多くの親が、もう手を離していいことに気づかない」んです。

毎日毎日、少しずつ、子どもは親のひざから出ていこうとします。親から見たらまだまだ未熟で、とてもじゃないけど、一人で歩かせられない!って思う頃から、「ひとりで歩いてみたい!失敗するかもしれないし、転んじゃうかもしれないけど、自分の足で、自分で選んだ道の向こうに何があるのか、見てみたい!」って思うのです。

その先には、安泰も安定もないかもしれないけど、子どもは「自分で選んで自分で見たい」んです。

結果として、その道が失敗だったとしても、「ほら見たことか!親の言うことを聞かないからだ」と言って痛めつける必要はありません。

もし失敗だったとしても、「自分で選びたい」「やってみたい」んです。自分で失敗したいんです。

だから、失敗しても、予想通りでも、「大丈夫、大丈夫。もう一度、好きなようにやってごらん」って背中を押してあげてください。

それを繰り返して、子どもはいつの間にか、親を助けてあげる側になります。

一度、通ったことのある大人には、正解と不正解が見えているかもしれません。それを伝えたくなるかもしれません。「愛情」という名のもとに。

忘れないでください。

子どもの人生は、子どものものです。

子どもは親の人生をなぞりたいわけではないし、親とは違う人格です。時代も違います。親はどんどん弱っていき、頭も固くなり、時代遅れになっていく、古い人です。

新しい時代を切り拓く、未来を担う人材に育てるためには、親元にいる間、つまり、「よしよし」と「抱っこ」でまた立ち上がれるうちに、たくさん失敗をさせてあげることです。

子どもはとっくにしっかりと自分の考えを持って、「試しにひとりで歩いてみたい」と思っていることに、親はだいたい気がつきません。

ぜひ、0才から、「この子はいずれ出ていく子。18才では完全に手を離して、家から出す」って覚悟を決めて、育ててください。


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