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ぼくたちはもともと必要のなかったものを楽しむように仕組まれている

今や当たり前のようにスマホを使って音楽聴いたり、YouTubeやTikTok見たり、SNSでやりとりしている。しかし、この当たり前ができたのはわずか10数年間のできごとだ。それまでは存在すらしなかった。そして10数年前には存在すらしなかったものをみな楽しんでいる。

しかし、これはなんだかとても不思議なことのような気がする。なぜなら、もともと必要としてなかったものを必要だと思い込まされているからだ。これまでひとが生きるのに必要ではないものを必要だと思い込まされて生きていると、これはまた数十年後には今はないものを必要として生きることとなるのではないか。つまり、ひとは際限なく満足することができずにずっと次から次へと新しく生まれるものを追い続ける羽目になりそうだ。

江戸時代では、アニメやYouTubeを視聴したり、TikTokで大勢のひとにダンスを見せたり、インスタでキラキラ人生を披露したり、ソシャゲでガチャやらなくても、時間を潰せただろうし、夜、ひととのコミュニケーションが取れなくても寂しさに震えることも、イライラすることもなく生きていただろう。大多数の人たちは農民だから、移動の制限もあってムラでの暮らしがすべてだったと思うし、唯一移動が許されていたお伊勢参りは、それこそ人生最大の旅行として楽しまれていたはずで、それで満足していたのだ。

ぼくらが今楽しんでいるものってなんなのだろう。ぼくは本当に楽しいと思ってやっているのか。それともまわりがやっているから、それが楽しいものだと思い込まされているのか。流行りを追うことは今の社会を生きていく上では必要なことかもしれない。しかし、今やっていることや今消費していることが、自分にとって本当に楽しいことなのか、ふと、立ち止まって考えてしまう。ぼくのたかだか40数年の人生を振り返ってみても、たしかに昔よりはるかに便利な世の中になった。だが、それによって昔より寂しさが満たされたり、幸福感があがったかといえば全然そんなことはないと思う。

みなさんはどうですか?スマホはあなたを幸せにしてますか?まわりがやっているからではなく、自分が本当に楽しいと思って、ネットやSNSを使ってますか?

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