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怒りの基準

先日アンガーマネジメントの本を読み、自身の怒りの記録をつけてみるとよいと書いてあったので、早速記録しておく。

何に対して怒りがわいてきたのか?
区役所の健康診査室に行った時のことである。肺がん検診だが、かかりつけ医では対応できない喀痰検査をしてもらうために、区役所での受診を予約したのだ。予約した時間前に到着し、受付をしたところ、次のようなことを言われた。
「問診票の用紙に肺がん検診のクーポンが張っていないため、別途郵送してほしい。」さらには、一週間以内に郵送しないと、結果を送付できない、とのことである。
この『クーポンを張る』というのが非常に分かりにくいのだ。クーポンが肺がん検診の受診票とは別に送付されてきていることは承知していた。だが、受診票の張る場所には健診センター利用欄と書いてあり、受診者自らがそこにクーポンを張る、ということまで想像が及ばないのである。せめて該当箇所付近に太字か赤字で受診者はここにクーポンを張ること、と明記してくれればわかるだろう。だが、そんな気遣いはない。私は、この『オペレーションのわかりにくさ』に腹が立ったのだ。また、確認作業をする受付の人たちのまどろっこしさは、怒りがわいてきた私を余計にイライラさせるものであった。
さらに、喀痰検査はこの当日に実施できるものではなく、容器を受け取り3日分の痰を容器に入れて、別の場所(医師会運営の健診センター)に提出するということである。そうであるなら、先に容器を受け取りに来る選択肢を明示するとか、オペレーションの概要を明示するなどの対応があっても良いのではないだろうか?

怒りがわいてくる中でも冷静に怒りがわいていることを認識していた。自分を客観視出来ていた。ひとつ大人になったことは、目の前の対応者に何も言わなかったことだ。この人に何か言っても何も解決しないことが分かっていたのだ。何かを言ったところで、その対応に余計にイライラしただろうから、これは賢明であった。

もっとわかりやすくできるはずなのに、「わかりにくい」ことが私は嫌いなようだ。これも「あるべき」からの派生のようである。


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