見出し画像

ニーハオトイレの思い出

オリンピック以前の北京の公衆便所は、男子も女子も個室がないのがデフォルトだった。北京に留学して初めて中国の公衆便所、いわゆるニーハオトイレに入った時の衝撃は忘れられない。

こんな場所で用を足せる訳がないだろうと強く感じた僕は、留学した最初のころはニーハオトイレの利用を避けていた。使ったとしても小便のみ。後ろで繰り広げられてる「不条理」はできるだけ視界に入れないように、いそいそと用を足すだけ。

それでも、数ヶ月も北京で暮らしていれば、にっちもさっちも行かなくなる場面は訪れる。ある日、王府井の屋台で食べた得体の知れない串焼きにひどく腹をやられた僕は、路地の公衆トイレに駆け込んだ。幸いなことに、薄暗い空間に先客はいない。レディー、セット、ゴー。

謎の串焼きが下腹部にかけた呪いは強烈だった。速攻で終わらせて立ち去るつもりだったのに、痛みはいつ果てるとも知れず、波状攻撃で僕を襲う。そして、畳み掛けるように最悪の事態が訪れる。人が入ってきたのだ。

咥えタバコのそのオヤジは、腹痛と格闘する僕の隣にかがみ込み、己のタスクを開始する。とてもナチュラルな所作で。僕はといえば、下腹の苦痛と、想定外の人生初人前脱糞体験によるニューロンの暴走で、既に脳がバグり始めている。

行為半ばであったが、居た堪れなくなった僕が、早くここを立ち去ろと焦りながらティッシュで尻を拭こうとしたその瞬間、咥えタバコが北京訛りの巻き舌で僕に思いもよらぬ言葉をかけてきた。

「你是日本人吗?(お前、日本人か?)」


脳内パニックは頂点に達し、尻の清掃もそこそこに、僕はその薄暗い公衆便所からほうほうの体で逃げ出した。これが僕の中国ニーハオトイレの初体験。

その後何度かニーハオトイレ経験を積むうちに、人前脱糞にはすっかり慣れてしまった。隣の見知らぬオヤジに「オレ今日腹の調子がめちゃくちゃ悪いんだよね」って突然話しかけられても、「そうですか。お大事に」とクールに返せるぐらいにまで。

人間の順応力の高さ、カルチャーショックの克服、郷に入っては郷に従うことの大切さ。グローバルに生きていくうえでの様々な学びを僕に与えてくれた中国のニーハオトイレは、今や北京の胡同(裏路地)からすっかり姿を消してしまった。たぶん現代の北京っ子たちからすれば、隣に座る赤の他人と会話をしながら脱糞するなんて考えられない行為なのだろうが、紛れもなくそれは一つの文化の消滅だ。

それにしても、咥えタバコがあの時なぜ僕を日本人と見抜けたのかについては、30年経った今でも謎のままである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?