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桜の時期はあっという間

つい1週間前、すごく晴れて空が澄み渡った日の翌日に、空にモヤがかかっていました。私の住む地域は近くに山がないけれど、空気が澄み渡った日だけは山が見えるのです。逆に、モヤがかった日には遠くの山どころか、ほど近い高層マンションさえかすんで見えます。

このとき浮かんだ百人一首がこれ。73番 大江匡房の歌。

73番  高砂の 尾のへの桜 咲きにけり 

      外山の霞 立たずもあらなむ (前中納言匡房)

この歌は後拾遺集に載っているもので、詞書によると、内のおほいまうち君(内大臣)・藤原師通の家で開かれた酒宴で、「はるかに山の桜を望むといふ心をよめる」 というシチュエーションで詠まれた歌。

高砂の、も、尾のへの、も言葉の意味はピンと来ないのですが、はるか山に桜が咲いているのを眺めるという状況からは、自ずと気持ちが分かります。手前にモヤがかかっていると、美しく咲いた桜もかすんでしまい、よく見えなくなってしまいます。どうか桜を愛でられる短い期間、霞が立たないでいてほしい。だって桜はすぐ散ってしまうのだから…。

古今和歌集で、春と霞(かすみ)はセットのように出てきます。実は、これについて少し気になっていました。というのも、私の中で、霧は春に遭遇する現象ではなかったからです。大学生時代、毎年夏に山地に泊まりに行っていましたが、雨の翌日や、夜冷え込んだ翌朝に、深い霧がかかって雲の中にいるような状態になることが多々あったのです。気温の変化のため空気中の水蒸気が細かい水滴になって出てくる「霧」は、春に限った現象ではない気がします。一方、漂う花粉や黄砂などの微粒子のために、視界がぼやけて見える現象は、春先に多い気がします。昔の人達が詠んだ「霞」のなかには、後者もあったのかしら。

ところで、作者の大江国房さんは、学者の名門家系に生まれ、その中でも幼いころから傑出した秀才だったようです。東宮にお勉強を教える学士でしたが、学者としては異例の昇進を果たし、天皇のブレインでもあったとのこと。また、兵法についての知識も豊富で、源義家(八幡太郎義家)がこの方から兵学を学び、それを活かして永保の合戦(後三年の役)で勝利したのですって。すごい人物ですね。

高校生の時、この作者は誰かと言うことすら、認識しておりませんでした。学校で習った平家物語が大好きだった私ですが、まさかこの歌が登場人物や時代と関係していたとは…!当時の自分に教えてあげたい。

百人一首は「さきの中納言」とか、役職が記載されていて、作者のフルネームが記載されていないものがけっこうあります。定家の記した原典がそうなのでしょうか。どうして一部の人だけ役職名なのか、とても気になります。

さぁ、この歌が頭に浮かんで一週間のうちに、早くも桜は満開になり、もう散りはじめて、一部に緑の若葉が出ています。ほんとに、しづこころなく、だわ。今年はみんなでお花見、とはいかないけれど、道行く人が携帯で写真を撮っているのを見かけると、この一瞬を楽しむことが日本人の心に沁みついているなぁとつくづく思います。

※古典文学も歴史も専門的に研究したことはないので、色々な本やネット上で聞きかじったことにより記載しています。もし誤りがあったら申し訳ありません。

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