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(漫画)『白山と三田さん』

やふぅー٩( 'ω' )و
今回は、読んだ漫画について記事を書きます。

くさかべゆうへい著 『白山と三田さん』 (小学館 、2022)




ざっくりあらすじ

高校生の白山と三田さん、このカップルが上京するまでの話。
ある日、白山が田んぼに落ちたおじいさんを助ける。
このおじいさんが、地元では有名な社長。

「お礼とか別にいらないです」
それを白山が伝えに行くと、孫と付き合って欲しいと言われる。
こうして、白山と三田さんのカップル誕生。

感想

非常に淡々と日常が進む。
白山はラジオが友達という感じだが、三田さんはそれなりに友達がいる。

巻数が進むにつれて、今までにない自分に遭遇すると、
「白山さんがいたから」とか、「三田さんがいたから」などと恋愛要素は進んでいる。

話の流れ方は、和山やまさんの漫画、『女の園の星』のような感じだ。
ギャグ要素満載なんだろうけど、私は特別爆笑したシーンはない。
大きな出来事より、日々の小さな出来事の連続性の話だからだと思う。

白山の何となく受け入れるところ、三田さんに感化されて変わっていくのが良い。
三田さんは、ゴルゴ好きからライフルを持って公園にいる感じが良い。

これを読んでいたら、結局愛ってよく分からんな、と思い出してしまった。
”愛”という名詞の場合は、専門分野によって様々な解釈があるのかもしれない。
しかし、”愛する”という動詞の場合、そこには人の意志が必要になると思った。
白山と三田さんの淡々と過ぎていく日々も、共に過ごす時間と共に感情に変化が生じているように見えるから。

急に思い出した自分の経験と、そこから考える「愛する」ことと「恋愛」。

「愛ってなんだと思う?」
出勤早々、そう問われた朝を忘れない。
そんでもって、それからしばらくして大学に行くことになったことも。
そんなわけで、私は「愛とは」と話すのであれば、専門分野に特化した捉え方があると思うのだ。

漫画を読んでいて思った、大きな出来事よりも小さな出来事の積み重ねが、愛だと思うこと。
それは例えば、席を譲ること。
相手を思いやること。
労わること。
相手に寄り添うこと。
こういうことだと思う。

繰り返しになるが、私は「愛する」ことを、感情だと考えていない。
恋愛的な感情は、続かないと考えるかだらだ。
恋愛的な感情に限らず、感情そのものが経験した時と同じ状態で、続くことはないと考えている。
これはネガティブ要素ではなく、むしろポジティブだと考えている。

「喜び」「怒り」「哀しみ」「楽しい」

これは持論だが、私はネガティブな記憶の方が人には残りやすいと考えている。
ネガティブな感情は、生命に関わる可能性がある。
そうなれば、本能的にネガティブな感情の方が、記憶に強く残るのではないかと思うのだ。
「喜び」や「楽しい」という感情も残るが、深い哀しみの中にいる時、同じくらい思い起こすのかと思うと疑問だ。

恋愛面の感情で、例えばドキドキするようなことがある。
哀しみもある。
これが結婚した後も、死ぬまで続くのであれば、老いた心身への影響は10代などの時と大きく異なるだろう。
粗雑な言い方をすれば、10代のドキドキは疲弊を及ぼすこともあるかもしれない。
いつまでも、そんな状態で同じ家で暮らすのはしんどいだろう。
よって、ある程度は自分自身の持つ感情に慣れていき、いずれ感情に支配されるばかりの状態は薄れていくのではないかと思うのだ。

では、意志はどうなのだろう。
意志とは時に、自分の首を締め付けることとなり得るもの。
しかし、色んな話を読んだりしていると、ある程度諦め、相手を愛する意思を持つというのは、単に尊敬の意を抱く。


ギャグ要素ありの、漫画を読んでいながら実に様々なことを考えた。

白山も、三田さんも正直地味だ。
地味な高校生カップルの日常は、私のような者はマッハで忘れるだろう。

しかし、この淡白な日々の時間の積み重ねは強い意思へと、変わることもあるのかと思った。
「愛する」というのは、大きな出来事よりも、小さな出来事の積み重ねがそうさせるんだろう。
そうでなければ、吊り橋効果かもしれないし。

そんなに深く考えてないよ!!
普通に笑って楽しんでるよ!!
ほのぼのしとるよ!!

きっと、この漫画を読んでいる人は、上記のような思いが多いのかも。
最近、いつも通り色々考えているもので。


この漫画、おすすめ!!

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