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他者の言葉が自分の思いになっていると気付かされる時

やふぅー٩( 'ω' )و
今回は、パズルを通して自己肯定感を取り戻した時のことを書きます。

人、いわゆる他者の言葉というのは、肯定的であれ否定的であれ、誰かに大きく影響していることがある。

突然だが私は、自己完結は成立しないと思っている。
この理由の1つとして、自分自身の頭の中で1つの定義に対して肯定と否定を繰り返しても、誰かと話すことや実体験でひっくり返されることがあるからだ。
言葉も同じである。

すごいね。
だめだ。

いつの間にやら、こういう言葉が自分の頭の中に貯蓄されてしまい、本来不要であるはずの批判的な部分さえ残ってしまうことがある。
そして、それを自分自身が思っていると錯覚することもある。


今回は、なんとも他愛のない出来事の連続から、私は自分自身ではなく、他者の言葉で思考回路が出来上がっていることを思った。

まず、ガチャガチャ。
私は引き運が元々強かった。
以前、昼休みの時間にコンビニのクジを引いたら、そのコンビニでA賞を2回当てたことがある。
コンビニでは「こんな早い段階でAが出るなんて」と言われて、A賞探しのために時間が想定外にかかってしまった。
オフィスに戻れば「何それ……!?」と言われる。
あれ以来、遠出で車で出かけていない時はクジを引かない。

ガチャガチャも同じだ(それほど普段からやるわけではない)
「これ欲しいな」と、ダブり覚悟でやっても大体1発で引き当てる。
自分でも不思議だが、友達数人といると盛り上がった。
「これ欲しいからお前引いて」と言われると、なぜか引けないけど盛り上がる。
一種の賭けのようなワクワク感が楽しい、ガチャガチャ。

そんなことをすっかり忘れていた頃に、久しぶりに引いたら自分が欲しいと思ったものを1発引きした。
驚かなかったのは、忘れていたとはいえ、過去の経験があったからかもしれない。
蛇足だが、この無駄を削ぎ落とした引きには、ある種の美しさを感じる。
時間も費用も無駄にしないから。

今年に入ってから遊んだ友達に、毎回「相変わらず持ってんなー」と言われのだった。
別の友達に、良いことは忘れやすいから、記憶より記録を重視で、ノートに書いた方が良いと言われたことも思い出した。
なるほど、確かに忘れてしまうようだ。


次に問題となるのは、苦手意識。
自分で欲しいと思ったのに、手にした瞬間苦手意識も思い出す。
言葉になる前に得体の知れない感情に襲われた。
「ダメだ」
「出来ない」

時間を置いてから、開封したら意外と出来た。
あれ?なんで出来ないと思ってたんだっけ?
思えば家中に、とは言わなくても一時期パズルはマイブームになっていて、今では飾る場所もないくらいパズルを楽しんでいた。

これらの成功体験から、過去の記憶を辿って思い出した。
「出来ない」と言われたことが何度もある。
家の中、目の届く範囲に自分の成功結果があるのに、他者の言葉がいつの間にか自分の思いになっていた。
悪夢から目覚めるような感覚だ。

完成出来て嬉しいし、楽しんだ。

それでも多分、私が今月「宇宙兄弟」を買って読んでいなければ、パズルはやらなかっただろう。


実際に売ってるようだ。
白無地、100ピースを90分でどれだけ出来るか。
タイムアタックなどもあるらしい(上記ネットによれば)

友達と遊んだり、動画企なら良いが、1人だったらキレそうかと思いきや、結構無心になるパズルはやはり楽しい。

時間が経てば経つほど、この白無地ジグソーパズルが今は欲しくてたまらない。
300ピースの方も良いなー、と悩んでいるくらいだ。


不要な他者の言葉によって、自分自身が形成されていたら、他者なくしてどうやって気付けるのか。
皮肉だと思うのは、不要な言葉を言うのも、その真逆の行為へと導くのも他者である。
ごく稀に、その他者が同一人物である可能性まである。
今まで、聞くだけで終わっていた色んな人の言葉が頭の中で交差した。


良いと思うことは、ちゃんと手書きしようと思う。

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