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僕らはいつも以心伝心(以心電信)って、改めてどういう現象なんだ?って考えてみる

タイトルは以前記事で笑う大切さについて書いた時、
動画で少し歌われていた曲でOrange Rangeの”以心電信”から。

改めて聞いてみたら、こーいう曲だったんだぁ。
いい歌だ( 'ω' )
歌詞を読めば”以心伝心”が、どういう意味で使われているのかわかる。
今回は、この現象について考えたい。

先に結論を言うと、色々事例を挙げて考えたけれども、
結局よく分からないのである。

1.以心伝心とは?

すでに”以心伝心”という言葉があるのだから、
自分自身だけの体験ではないわけだ。
さ、辞書を引いてみよう。

①仏語。ことばでは表せない悟りや真理を心から心へと伝えること。
主として禅家で用いる。
②無言のうちに心が互いに通じ合うこと。わざわざ口で説明しなくても、
自然に相手に通じること。
③自由恋愛、自由結婚をいう、学生仲間の隠語。
[常用モダン語辞典(1993)]

小学館 精選版 日本語国語大辞典 Shogakukan 2006


へぇー、そうなんだ。

2.具体的な自身の事例

1つ目٩( 'ω' )و 
msgをやりとりしていたときのこと。
「そろそろご飯食べなきゃなー」
「今日のご飯は炒飯です。」
「え、今君がリビングで炒飯食べてるとこが浮かんでたんだけど!!」


2つ目٩( 'ω' )و 
随分昔のことだが、きょうだいとの会話。
「今◯◯って漫画ハマって読んでんだよ。」
「え、同じなんだけど。」
「マジ?△△てアプリで読んでる。」
「あー◇◇で読んでるわ。」
「あれ昔のやつなのに。マジで?すごくね?」
「えーキモw」(ひどい)


3つ目٩( 'ω' )و 
同じ日に、同じYouTuberの同じ動画を見て、
お互いに送ろうとしてたけど忘れてた!!っていう、
この忘れてたとこまで同じ。


4つ目٩( 'ω' )و 
感動したー!!って時に、相手がどう思っているのか、
その人になったような感覚で分かる時。
相手の視覚・聴覚情報まで、自分の脳内で処理されるような感覚。
他者の記憶が、自分の脳内に入ってくるような感覚の時だ。
共感なんてももんじゃない、見えるし聞こえるのだ。
いつもじゃないけどね。


5つ目٩( 'ω' )و 
苦手な空間の話をした時。
友人が理解するだけでなく、友人の親まで理解したときのことである。
友人の場合は、どの位置かも明確に一致した。
友人の親の場合、友人と異なる空間の話だった。
しかし、これまた多少の差異はあるものの同じ空間の話であった。


いくつか挙げてみたので、少し考えてみる。
もちろん専門分野でもないので、不思議だとしか言えない。
これを不思議であるとまとめるのか?
スピリチュアル的な何かととらえるのか。
スピリチュアル的な何かでは信憑性に欠けるので、
自分には受け入れられない。
脳科学なのか?専門分野はなんだろう?

最近まで知らなかった「共感覚」というものに似ているような、
なんとも説明困難な現象である。
というのは、これらが感覚的なことだからだ。

例えば双子だとか、家族内だったらもっと起こり得るであろう。
同じ環境下(や、遺伝子の関係など)で育てば、
なんとなく”分かる”ことは多いのではないか?(な?)
趣味嗜好が合えば「めっちゃ分かる!!」も、あり得る。
しかし、他者はどうであろうか?
育った環境が異なり、趣味嗜好もそれほど同じでない場合だ。

1つ目の事例は互いをよく知っていれば、
「あいつ、◯◯食べてそー。」となり得るだろう。
記憶を頼りに他者の行為をなんとなく想像する。
”想定”するものだ。

2つ目の事例は、趣味嗜好が合えばあり得る。
今は選択肢が多種多様とはいえ、ある程度やはり”流行”がある。
漫画アプリも、社会が出したいものを出すだろう。
そうすると、同じ時期に同じ漫画を読むことは信じられないと言い切るほど、あり得ないことではないのかな?

3つ目の事例は、2つ目の事例に似ている。
YouTuberの挙げている動画がたくさんあったとしても、
趣味嗜好や行動パターンが合えば、条件づけは容易だ。
同じYouTubeの動画を見たことは、
それを配信しているYouTuberが配信したものを見ることとなる。
YouTuberが、YouTubeを媒介してアップロードする。
そのYouTuberのみアップ可能なため、ここに時間差は生じ得ない。
YouTubeを鑑賞出来る環境にいれば、それほど珍しくはない。
”どこでも、誰でも、気軽に”観たいものを選び、観るのだから。


説明し難いのが、4つ目や5つ目のようなケースだ。
相手の感情を含め、五感を相手になったかのように分かる感覚は、
よく分からないのだ。
以心伝心という、4文字でまとまるだけでは納得いかない。

まるで相手になったかのような感覚や、
誰かの記憶が自分の頭の中に入ってくるような感覚は、
最近始まったわけではない。
変な話だ。
分かってもらおうとか、理解は求めていない。
ただ不思議でたまらないのだ。

3.どんな感じか無理やりゲームで例えてみる

我が愛するゲーム、”Dead by Daylight”。
例えに適しているのか微妙だが、ここでサバイバーが保有出来るスキルを
2つ紹介してみる。

「共感」

「共感」スキル

(64/96/128)メートル以内にいる、瀕死または負傷状態の仲間のオーラが視えるようになる。
ただし、殺人鬼に直接触られている仲間のオーラを視ることはできない。

https://gamewith.jp/deadbydaylight/article/show/275971


「血族」

「血族」スキル

あなたが吊るされているとき、生存者のオーラが他の生存者全員から視えるようになる。
殺人鬼が(8/12/16)メートル以内にいるとき、他の生存者全員に殺人鬼のオーラが視えるようになる。
自分以外の生存者がフックに吊るされている場合、他の生存者全員のオーラを視ることができる。
殺人鬼がフックに吊るされた生存者から(8/12/16)メートル以内にいる場合、殺人鬼のオーラを視ることができる。

https://kamigame.jp/dbd/page/93539537162076167.html

んんんんんん!!!!
真面目に考えたら、やっぱコレジャナイ感すごい。
だが、dbd紹介したいから自己満足で載せる!!わっはっは


4.共感覚も説明し難いものである

そもそも、この言葉を知らなかった。
他者に言われて初めて、それが自分自身にしか起こっていないと
知らされるのだ。
自分自身ほど、認知し難いものはない。

数字に色が見えること。
世界が、線のつながりで出来ている空間のように見えること。
食事が色彩豊かに見えたり、音が聞こえること。
他にもあるかもしれない、自分には普通のこと。


そうやって世界が見えてるんだー。
にてるかも!!その感覚分かるかも!!
全然分からないな。

なんであれ、こういう感覚があるのだ。

感覚とは、説明困難なものである。
視力の良い人は、いかにして視力の悪い人の見える世界を
経験するだろうか。
疑似体験は出来ても、やはり疑似なのだ。

これが、感覚となるともっと厄介だ。
これに対して、良いとか悪いといことは言わない。
ただ、感覚の共有は難しい。
これに尽きる。

5.色々考えてみるけど、やっぱり分からないこと

以心伝心。
この歌を聴いてみて欲しい。
解釈は自由だが、この歌をベースにまとめてみる。

黙ってたって相手に伝わるというのは、良くも悪くもあるのだ。
相手の記憶や感覚が、自分に伝わるとき、それが良いものであれば
誰よりも一緒に喜べるだろう。
だがつらい時には、自分の経験でなくても途方にくれるほどに
つらい思いをするのだ。
しかも感覚的なものだから、分からない人には分からない。

良いか悪いかはともかく、このよく分からない現象について書いてみた。


今日も良い1日を!!



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