104期版『Reflection in the mirror』のアレンジに思うところがあるという話
タイトルの通り。
先日、蓮ノ空女学院スクールアイドルクラブの104期の始まりを象徴するFes×Liveが開催され、昨年度のラブライブ!全国大会に出場し大きな爪痕を残した彼女達は、その肩書きに恥じぬ素晴らしいパフォーマンスを魅せてくれた。
このFes×Liveでもっとも注目すべきは他でもない、毎年恒例となっている伝統曲のリアレンジ版の発表である。
昨年、103期の際には内部事情により4月度のライブで3ユニットが揃い踏みすることが出来ず、その発表はある程度みらくらぱーく!の復帰の目処が立ったのであろう7月のFes×Liveに持ち越されていたが、今年度は最初から3ユニットでの開催となった。
すなわちこの公演は2年ぶりの恒例行事であり、また各ユニットのメンバーが3人以上となっている状態でのFes×Liveは、100期以来実に4年ぶりであった。
102期の頃には存続が危ぶまれているとの噂さえあっただけに、昨季の全国出場から続くこの復活劇は、1ファンとして非常に嬉しく思う。
が、しかし。
しかしである。
今回発表された104期版の『Reflection in the mirror』について、少々思うところがあったのだ。
それを語るためにはまず、Fes×Liveでも実際に触れられた当該の曲が辿る歴史について軽く説明する必要があるだろう。
もちろん、中にはかねてより蓮ノ空を応援していてこの記事を読んでいる人もいるかも知れないので、そういった方々はサクッと読み飛ばして頂いて構わない。
まず始めに、Reflection in the mirrorのルーツは、6~70年ほど前まで遡る。
蓮ノ空は104の期を数える学園であり、ともすれば当然、かつての姿は金沢が誇る優秀な旧制高等女学校であっただろうことは想像に難くない。
そんな学園が時代の移り変わりとともに三年制へと変化し、そして芸学部が生まれたのは約60年前のことである。
この頃に生まれた『Reflection in the mirror』の原型こそが『逆さまの歌』であり、これは旧制高等女学校時代に存在した数ある寮歌のうちの一つを元にしたものであるらしい。
蓮ノ空の卒業生である祖母に残存するラジオテープで聴かされたことがあったが、当然その姿は今や全くと言って良いほど面影が無い。
強いて言うならAメロ終わりとCメロの歌詞に若干名残が存在することくらいだろうか。
『逆さまの歌』の登場から凡そ20年が立ち、昭和アイドルソングやロックサウンド、テクノポップなどといった先鋭的な音色の流行がメインストリームに上がり始めると、蓮ノ空の芸学部もその流れを積極的に取り入れ、よりキャッチーで親しみやすい形での継承を目指したアレンジが含まれていく。
その変革のひとまずの終着点として行われたのが、初の改題であった。
65期を以て、『逆さまの歌』は『鏡界線のラビリンス』へと大規模な進化を遂げることとなる。
当時はそれまでの形式を重んじる人々からの反対の声も大きかったと聞くが、改題された曲名を体現するような力強くも錯綜して絡み合うシンセサイザーのメロディとギターの音色は、1980年代初頭にあのイエローマジックオーケストラを中心に巻き起こったニュー・ウェイヴのムーブメントを意欲的に盛り込みながらも、その巧みなコード進行で和のテイストを残した傑作アレンジだと言えるだろう。
そこから更に20数年が経ち、今度は80年代から提唱されてきていたアイドルの在り方に大きな変化が現れようとしていた。
西日本の芸能科を持つ高校を中心にスクールアイドルという固有名詞が生まれ始め、その概念が瞬く間に全国へと広がっていったのだ。
後のアイドル史にとっても重要な転換点となるこうした動きは具体的にどの学校が中心となっていたのか。詳しく調べるのは難しいところだが、一応当時最も早く芸能科を構えていた高校は大阪の滝桜女学院であるらしい。
少々話が脱線したが、ともかくこうした全国的な動きに、蓮ノ空の芸学部はもちろん合流すべく動き出したかというと、そうではない。
蓮ノ空の芸学部が再び大きな転換点を迎えることとなるのは、その凡そ10年後。
そう、我々にとっても馴染み深いあの全国高校スクールアイドル大会、ラブライブ!の企画が発足し始めた頃だ。
スクールアイドルという文化が全国に浸透した後、満を持して開催が告知された全国大会を前に、蓮ノ空芸学部は遂に決断を迫られることとなる。
即ち、伝統に則り芸学部としてこれまで通りの活動を続けるか、スクールアイドル部として更なる飛躍を目指すか、だ。
その結論は最早言うまでもないわけだが、ここで一つの壁が立ちはだかる。第一回ラブライブ!において、蓮ノ空スクールアイドルクラブは地方予選での敗退を喫したのだ。
無理も無い。時代に合わせリアレンジを加え続けてるとは言え、一度大きな進化を遂げた『鏡界線のラビリンス』も原曲は1980年代のもの。
激動のアイドル戦国時代であった平成で全国と競い生き残っていくには、あまりにも非力だったのだ。
そこで、第一回、第二回の出場校、及びその頂点に立っていたA-RISEとμ'sを徹底的に分析し、現代のアイドルソングとして力を取り戻すべく、『逆さまの歌』は再びその姿を大きく変えることとなる。
それこそが『Reflection in the mirror』なのだ。
……とまぁ、この辺りまで記述すればそれとなく今回私が言いたいことに検討が付いてくる方もいるのではないかと思われる。
104期Reflection in the mirrorを聴いて、私は率直にこう感じたのだ。
いや戻るんかい!と。
これまでポップの最前線をひた走ってきたReflection in the mirrorという曲にとって、今回大幅に改変を加えられた和風アレンジは言ってしまえば少々時代への逆行とも受け取れてしまうのではないか?と。そういうことを言いたいのである。
もちろんそのリアレンジのコンセプトは理解出来る。
というのも、今年度になってスリーズブーケに加入した百生吟子の存在が大きいためだ。
百生と言えば、聞き馴染みのある地元民もいるかも知れない。代々金沢市
で加賀繍の工房を営んでいるあの百生家だ。
先日のFes×LiveでのMCでも話題が上がったところを見ると、どうやら今回、彼女の加入によってスリーズブーケは伝統曲のルーツに立ち返るというフェーズに入ったものと思われる。他2ユニットのアレンジにそういった傾向が見られないことから、この方向性はスリーズブーケ独自の動きであるようだ。
そう、そのコンセプトはとてもよく理解出来る。
だがしかし。再三の主張となるが、そもそも『Reflection in the mirror』とは先述の通り、その時代ごとに流行を取り入れながら進化を遂げてきた、まさに時勢と鏡映しのような関係を保つ曲として受け継がれてきたものである。
それがここに来て、原点を見つめ直すという逆行を取ったことにより、曲の立ち位置が揺らいでしまったように感じるのだ。
ここ数年の伝統曲のアレンジ傾向は、
コロナ禍により文化の停滞を招いた100~101期、
内部事情(全容を知っているわけではないが)により微速前進を保つ形となった102期ときて、
昨年度に当たる103期はそうした空白の時代を打ち破るが如く、旋律を大幅に追加して華やかさを象徴する魔改造っぷりが話題となっていた。
それだけに、メンバーも増え自由度が増した今年度は103期の方向性を発展させてくれると私は期待していたため、若干肩透かしを食らった感が否めない。
と、ここまで当該の楽曲に関する思いをつらつらを綴らせて頂いたわけだが、とはいえ104期の活動はまだ始まったばかりである。
今回私が挙げさせて頂いた『Reflection in the mirror』のアレンジ傾向が他の楽曲にも反映されるのではないか、という懸念もなくはなかったが、現在サブスクリプションなどで配信されている新規のオリジナル楽曲『アオクハルカ』などを聴く限りそういったものは杞憂と言った方が良いかもしれない。
残るもう一曲の伝統曲、素顔のピクセルがどのように変化を遂げるのか、というところは注目すべき点であるし、百生吟子という今年度のキーパーソンによって、かつての伝統曲が復活・変貌を遂げる可能性もある。
伝統という概念に立ち返ることを選んだスリーズブーケが、今後どのような展開を見せてくれるのか。
今年度の蓮ノ空の活動からも、やはり目が離せそうにない。
※この記事はフィクションです
この記事の内容はその大半が私の妄言に過ぎず、公式から開示されている一部設定を除いた大部分は信憑に値するものでも考察の機会となるものでもありません。適当です。すみません。
また、この記事を執筆するに当たって、下記の記事を一部参考にさせて頂いております。
実際の旧制高等学校の歴史や当時の情勢といった視点から蓮ノ空女学園の沿革や芸学部が辿った軌跡の考察へと繋げた、これまでにない切り口の興味深い記事となっておりますので、蓮ノ空の歴史を考えてみたい、という方は是非ご一読してみてください。面白いです。
皆も「#蓮ノ空嘘老人会」で存在しない記憶を作り出してみませんか?
いつでもお待ちしています。
それでは。
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