1人が好きだけど1人では生きていけない
酷暑ですね、こんにちは。
もうめんどくさいのでいきなり本題どっかんなんですけど、ほんと1人大好き。
1人でごはんとか旅行に行けない人の気持ちがわかるようでわかんないし。
誰かといないと寂しいとか、恋愛してないとか寂しい人の気持ちもわかるようでわかんない。
恋愛と家庭環境
家庭環境の悩みは恋愛に少なからず影響するぞ、と最近私の周りのエンタメが脅迫してくる。
私の大好きな海外ドラマ『セックスエデュケーション』や、最近ネトフリで視聴中の『YOU 君が全て』でも、かなり家庭環境と恋愛や性の悩みを色濃く絡めている。
海外ドラマでは物語のキーなテーマに、家庭環境やジェンダー、階級差別や人種差別など、社会問題をがっつり絡ませて4シーズンやりきるのがトレンドな感じする。
すごく見応えあるし、今生きてる時代にめちゃくちゃフィットしていると思う。
話を戻すんだけど、両親が『理想の夫婦』でなかった場合、「親みたいにならないようにしなきゃ」みたいな無意識の呪いが自分を抑圧する。
と思ってる、私がそう。
島本理生著『Red』の主人公も、その呪いで自分の幸せを見失っていた。
小さいころから母親に「結婚なんてするもんじゃない」と言い聞かせられてきた私は、自分が幸せになるビジョンを描くのがすごく、難しい。
間違えてはいけない、間違えたら地獄が始まる。
そんな無意識の恐怖がドアを叩き続けている。
その反面どこかで憧れている。
無条件で愛し、守りたいという感情を抱き続けられる夫婦関係に。
上手に愛を
私は親と良好な関係を築けるようになったのは、私が家を出てから。
大切に育ててもらっていたけど、上手に愛を受け取れなかった。
5歳とか6歳の時に親に対して感じた、
「この人たちも人間で、時に感情的に理不尽なことを言うし、なにがあっても味方な存在なんていないんだ」
みたいな絶望感今も覚えてる。
家族だからといって神聖ないきものでもなんでもない。
私の二重螺旋構造の原本。
学生時代、いちばん言われたくないことをいちばん言われたくない時に言われて。
その時思ったのは、「誰であろうと相手に期待をしないのが最もの自衛だ」ということ。
割り切りすぎ、まだ10代だったくせに。
かわいげないぞ。
そう言ってやりたい、あのころの私に。
でもそうやって自分の中で気持ちに折り合いをつけて、生きてくれたから今の私がいるね。
そんなこんなで、おかげさまで私は10代の頃から30代とか40代の、うんと年上な男性に惹かれがち。
この記事を読んでる方で知ってる人がいたら教えて欲しいのだけれど、「パパの愛情が足りない女の子は床上手〜」みたいな歌詞かフレーズどこかになかったっけ?
夢の中でみた詩なのか、SNSの投稿で見た文なのかわからないけど、朧気な記憶の中にある言葉。
多分根底的に庇護されるような愛に飢えてるんだね、きっと。
お友達ままごと
21とかそこらの時、友達が一気にいなくなったことがあった。
びっくりするくらい友達って手のひら返すよ。
大学の友だちなんてそれくらい薄い友情で、アクセサリーみたいなもんで。
お給料入ったから新しいの買おう、みたいな。
300人いるLINEの友だちのほんの数人が、『友達』なんだって21のときに知った。
生きる道が違くても、所属するチームが違くても、それでも仲間だと思える人達がいることを知った。
悲しかった時もあるけど、飾りもんの友だちもどきじゃない、 対話ができる人たちに何度も救われた。
だからかな、お互いを大切にできていないと感じる人は率先して距離をとる癖がついた。
違和感を感じたら迷わず離れる、傷ついて相手を悪役に仕立てる元気はもうないから。
そっと、それが環境の変わり目や人生の諸行無常であるように。
博愛であるからこそ、自分が困った時だけ連絡してくるタイプの人とかに都合よく搾取されかねないと自覚している。
自分が苦しくて誰かとの対話が必要なときにレスポンスが無いのに、自分が困った時だけ会おうとしてくるの、
令和を生きる皆様ならわかってくださると思うのだけれど恋愛にかかわらず典型的な利己的クズじゃない(ごめん言葉選んだ結果これ)。
『やさしさ』の履き違えって死ぬほど怖いなと私は思う。
だってその優しさはだれかにとっての暴力になりかねないから。
お互いを尊重できる友人知人が1人でもいてくれたら、もうそれだけで生きていける。
ありがとう、生かしてくれて。
1人でも生きていけるかも
人生の幸せの基準を他人に委ねない、そう決めた。
だけれど、自分で自分を幸せにできても、そこに家族や友人、恋人、誰でもいいんだけど、誰もいなかい人生は私にとって味気なくて、合成樹脂みたいな。
自分を幸せにできなきゃ他人を幸せにできないとも思う。
そうなの、大切な人を幸せにしたいの。
親にもいつか、ちゃんと親孝行したい。
若いくせに変に達観してやると決めたら聞かなくて、そんな私に私の人生の決定権を委ねてくれたから。
ほんとに好きに生かしてもらっていると思う。
誰かをとことん愛したいとも思う。
やっぱり金星牡牛座なので(これは照れ隠しの常套句)、自分にだけ注ぐには愛のパワーがドデカすぎる。
人の真の愛に触れてみたい、と思う。
他人と触れて、筋肉の繊維から血液まで、全てが震え沸き立つ感覚を共有し、涙するのが自分の人生の使命だと直感しているから。
友人知人の心を綻ばせることができたらとも思う。
ずっと、歳をとっても、ふとした時に
「まだ20代のときみたい」
そんなふうに感じれる、タイムカプセルみたいな時間を共有したい。
1人でも生きていけるかもしれないけど、1人で生きていく気なんて毛頭なくて。
理想が高いとか言われるんだけど、妥協した相手があなたですって結婚相手とか友だちに言われるの死ぬほど不名誉じゃない?笑
私にひとりの時間が必要なのは、自分と向き合う時間が相手と向き合うためのチューニング。
だから一人で生きてしまったら、一人の時間なんて意味を持たなくなってしまうのかも。
誰かに生かされている24歳夏。
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