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『もらとりあむタマ子』ー住む場所、働く場所

東京の大学を卒業したものの、父がスポーツ用品店を営む甲府の実家に戻ってきて、無気力な日々を送るタマ子。「就職活動してるのか?」という父の言葉に「その時が来たら動く。少なくとも今ではない!」と威勢がいいのか悪いのかわからない啖呵を切るが、秋から冬、そして春から夏へと季節が移りゆく中、タマ子の気持ちにも少しずつ変化が現れていく。履歴書を書き、就職への意欲を少しだけのぞかせるようになるタマ子。そんな矢先、父に再婚話が持ち上がり、彼女の心は激しく揺れる――
https://www.bitters.co.jp/tamako/introduction.html

淡々とした脱力系映画。働かず勉強せず家事もせずひたすら漫画とゲームに時間を使って罪悪感なくこれだけだらだらできるのって一種の才能だと思った。

こういう人の方が人生うまく生きられそう。夢に向かって全力疾走っていう生き方はもちろん楽しそうだけど、全力疾走するのはその夢がある時だけで他の時は別に上を目指さずなんとなく生きて、それを自分で肯定できたら生きるのが楽になるだろうなと思う。

ラストシーンでこれからどうするかと聞かれた時のタマ子の台詞「ま、どっか行ってるでしょ」が「なんかしてるでしょ」じゃないところに、何をしていたとしてもその土地その土地で生きていけるっていう彼女の強さを感じた。仕事よりも自分の生きていく土地、生活重視のような感覚。

就活をしていて疑問に思うのは、どうしてこんなに生活する場所が軽視されていてしかもそれが当然という風潮なのかということ。私の中では仕事で何をするかも重要だけれど、それと同じくらいに重要なのがどこに住むかでそれによって生活費はまるで変わってくるし、通勤にかける時間やそこで被るストレスといった、仕事をするために払う時間外のコストも全然違うと思っている。就活で「どんな仕事をしたいのか」はよく考えなさいと言われるけれど、「どんな場所に住みたいのか」については誰も触れない。自分の中ではどこに住むのか=どんな暮らしをしたいのかに直結していて、それこそが生活の質に関わる一大事だと思っている。


と、2年前の自分は思っていた。先日久しぶりにnoteを開けるとこの下書きが残っていて、こういうことを書いていた割には真反対の暮らしを選んだ自分がいる。

今、あれ程大嫌いだった東京に住んでるよ、とこの時の自分に言ったらどんな反応するだろうな。


大学生最後の年の6月が終わって私が手にした会社の選択肢は2つで、一つは関西の島、もう一つは東京が本社という対照的な職場環境だった。

「島で暮らす」というのは大学時代に沢山の島に旅行に行き、時にはアルバイトとして住む中でできた一つの夢で、内定を頂いたその会社は「全ての人が住みたいところで働けるようにする」という、自分が今まで抱いてきた疑問に答えをくれるビジョンを掲げていた。最終面接は本社のある島で行われて、「こんな就活ってあるんだ」と思いながらリクルートスーツで船に乗った。

それなのに、どうして、東京を選んだのか。もうすぐで住み始めて1年経つけれどどう感じているのか。


今のモヤモヤをきちんと言語化できるようになるには、まだ距離が必要な気がする。今はまだ、自分の中に書ける程の言葉が溜まっていないけれど、書ける時が来たら今の悩みも、モヤモヤも、自分の記録として形をあげたい。


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