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白いシャツ、西麻布のバー

何かタスクに取り組むときに、発散型の思考をする人間と、対照的に集中型の思考をする人間がいるように思える。僕は発散型の思考をするタイプで、例えば何か作業指示を受けたら、その指示の意図、プロジェクト全体における立ち位置、重要度、アプローチの仕方などをぼんやりと考える(ここが重要)。もちろん意識的にタスクを分析し、構造化して何からアクションに起こしていくべきか考えることもあるのだが、よくやるのは前述のようにぼんやりと全体を眺め、要点を抑えてそこにタックルする、というアプローチである。

この「ぼんやりと」したアプローチは、例えるならば目の焦点をわざとあわせずに絵を眺めるのに似ている。よく、同じ記号や文字が敷き詰められた画像で、その中から1つだけ違う記号を見つけ出してください、というようなだまし絵を見ることがあると思う。あれは1文字1文字を精査する方法でも勿論どこかでは答えを見つけることができると思うが、目の焦点をぼかして全体を眺めるとなんとなく色や形が違う箇所がぱっと見えてくる。そしてこの解き方の方が大概ずっと早いように思われるのである。仕事をするときにもこのぼんやりとしたアプローチは、要するに何が問題で何をするべきかを考えるときに強力な武器となる。勿論、全体を精査せずともぼんやりと眺めるだけで理解できるのが前提であり、そのためには労力をかけず物事をクイックに理解する情報処理能力は必須、という但し書きがつくのだが。

さて、このぼんやり・発散型は仕事では力強い。なぜかといえば、正解にたどり着いたり、問題が生じてからアクションに移すまでのスピードが圧倒的に早い上に、全体を常に見渡しているので、仮に初期的に取り組んでいたことが少しずれていたとしても、それが判明してからの修正も早くできるからである。そして、この思考タイプの弱点である「意思決定を論理的に説明する難しさ」について、仕事においては客観性のない意思決定は最初からしないもの、というルールがあるので、最初から弱点が露呈しないような保険がかかっているのである。

一方、この思考をしているとプライベートでは何を考えているかわからない人間と思われやすいだろう。自分でも突拍子のないことをしたりするし、周りにそれをうまく説明もできないからである。特に飲み会で酔うと、本当にわけのわからない感じになる。自分の場合は普段から選択肢のランドスケープ全体が見えているので、酔って自由になるときはランドスケープ外の行動もしたくなる。こうなると他人には説明不能な世界である。

そうやってはちゃめちゃをして、金曜日の疲れた身体にさらに負荷をかけ追い込む。そして飲み会の帰り道に大反省しながら、昨晩の行動に論理的な説明をどう後付けしていけるか、考えるのである。そういう人生。

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