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アイコンジプシーを卒業する

アイコンを変えた。

というか、他でも使っていたイラストにした。

このイラストは、出展者か撮影者として参加していたイベントでイラストレーターの方に描いてもらったものだ。

とても気に入っている。でもこれは、とりあえずの処置だ。

というのは、フォトグラファーにとってのアイコンは一種のポートフォリオだからだ。

仕事の性質上、顔出しをしている方が相手も安心できる。

が、このアイコン写真にわたしはずっと苦しめられてきた。

仕事に差し支えない範囲で撮る自分の作風でのセルフポートレートが、自分のルックスにフィットしない。

ふざけた演出写真を撮るのは好きなんだけど、商用にはしにくい。

かといって笑顔でカメラを持った「いかにもフォトグラファー風」に撮ると、ポップじゃない顔立ちが強調され、見せたい作風から離れる。

背景やポーズに個性を出すなら無表情の方がバランスがいい。が、そうすると愛する我がほうれい線が余計な情報を語る。

撮影者に徹することができるなら、角度や目線の微調整で対応できるけど、セルフポートレートではそれが難しい。

撮ってはボツを繰り返すのに疲れて、いっときはフォトグラファーという肩書きがイヤになってしまった。

ネット世界の外見プライバシーも二極化が激しい。

一方はアバターでおじさんが乙女になることも受け入れられる世界で、もう一方はどんな職業であれ顔を出して自らをキャラ立てしていく世界だ。

前者いいなーと思うときもあるけれど、最近は開き直って「ふざけたキャラです」というアイコンでいいんじゃないかって気もしている。

たぶん、子どもが大きくなって親として変なことをしてはマズい感が薄れてきているからかもしれない。

ここ1週間、久々に新規の仕事を探してエントリーしてるんだけど、実績の末尾にこの毎日noteのリンクを入れた。

もちろんこれまで通り、媒体のトンマナに沿った記事を書くし写真を撮る。

でも、こういう人間であるということはもう隠さないでおこう。

そして、今度こそ長く使えるアイコンを撮るのだ。

若い姿のまま、残りの40代を生きるために。

自分の書く文章をきっかけに、あらゆる物や事と交換できる道具が動くのって、なんでこんなに感動するのだろう。その数字より、そのこと自体に、心が震えます。