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人生で輝く必要はあるのだろうか

結論から言いますと、輝こう、キラキラしよう!とする必要はないです。

何事も続かないダメ人間のためのスピリチュアルでもある、心神の法則を実践しているので、さらに人生を自分で輝かせようとは思わなくなりました。

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人生が輝き喜び溢れますように、とお祝いなどで言われます。

本当にありがたいことです。
そう言われるととても嬉しいし、なんだかうふふってにやけます。

なのに、なんでだろう・・・

どこかで「そうか、輝かなくちゃならんな!」と気張(きば)っている自分を発見したりする事はありませんか。

気張るというのは、そのまま「気を張る」で、気を引き締めるという意味もありますが、どちらかちうと心が緊張するような、気持ちにゆとりがない時に使われるものです。

こんな美しい応援の言葉なのに、なぜか気張ってしまう。
もしあなたもそんな経験があるのなら、応援とはもともと、相手を鼓舞したり励ますもの。

そうした意味ではとても素直な反応をしているということになります。

例えば、ウツで苦しんでいる人に、むやみやたらに応援してはいけないと言われます。頑張りたくても頑張れない状態に応援するのは、相手を追い込むことにつながると言われているからです。

心の状態によっては、応援は刃になる。

それを踏まえた上で。

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現代は誰しもが「頑張って」います。

考えなくてはならないことがたくさんあり、解決しなくちゃいけない問題をいくつか抱えて、将来の不安を抱えながら生きているからです。

毎日が精一杯。だからこそ幸せになりたいと願うのは当然のこと。

恋い焦がれる「幸せ」になるには「キラキラ輝く人生」というのが付け加えられるとどうなるか。。。
そう、キラキラ輝くために頑張ろう!と素直に受け取ってしまうことに。

わお。

毎日やること、考えることがたくさんって、だからこそ幸せを求めているのに、さらにキラキラ輝く必要があると受け入れた瞬間から、もっともっと自分を追い込んでいくのは、簡単に想像できてしまう。

これが、私が「輝く人生」に対して思うことです。

だからこそ「輝かなくていい」と声を大きくして言いたい。

輝く必要はありません。

毎日の大変な日常を過ごす自分って結構頑張ってるよな、と自分を認めることが幸せにつながる道であって、キラキラと輝く必要も、好きなことで生きていく必要もありません。

だから、輝かないでいい。
そんなに頑張って幸せにならなくていい。
輝かない自分を、人生を大切にしてほしい。

そんな風に思うのです。

そもそもですけど。
輝いてるね!キラキラしてるね!というのは、他者が感じるものです。
自分が輝こう、キラキラしようとすること自体が人目線なのだと気がつくと、オット!ミスリードだったわ・・と思えるかな。

私ごとですけども、おかげさまですごい充実してるように見える!と言われます。
私自身、全くそんな事はなく、毎日スイッチでゲームしたり、昼寝したり、お菓子食べたり、ちょっとだけ仕事したり、ご飯作ったりという、どちらかというとキラキラとは真逆の怠惰な日々を過ごしていると自覚してます。

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          なまけものという可愛い生き物

ただ、そうした日々をダメだと思わず、今日はこういう日だったと自分を受け入れ完結していくことで、充実していると見られるのかなとふと思ったりします。

前回から書いている「なんちゃって祈りの言葉」
心神は「たましい」と呼びます。

自分の魂は、心神です。
自分のたましいへと、祈ることです。

私の心神よ
ただの自分でいることを受け入れる勇気をください。
適切な道へと導いてもらっていることを信じられる自分になれますように。




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