自分を裏切るということ。


自分の両親は芸術家とモデルだ。

その2人の間に生まれた自分は、小さな頃から「サラブレッドだね」なんて言われた。
中学に入る頃までは教師や、友達の親によく言われていた。

そのせいか、周りの友達は僕のことを少し特別な目で見ることもあった。
身近な大人が、「fasくんはすごいね」なんて言うもんだから。

僕はそれに慣れた。慣れてしまった。


小学生から始めた野球も、中学に入ると身長が伸びた僕を周りの大人は「10年に1人いるかいないかの逸材だ」と持て囃した。ピッチャーだった。

友達の親も、僕には優しく大事にしてくれた。
「fasはエースになってもらわないとね」なんて言って。

僕は野球は好きだった。けどしんどい練習は嫌いだった。
毎日走り込んで身体を大きくして、速い球を投げれるように みたいなものは向いてなかった。

けど、他人に負けるのは苦しかった。
なのに自分にはいとも簡単に負けてしまっていた。

学校が終わってからチームメイトはバットを素振りしたり、走り込んだり筋トレをしたりしていた。
そりゃそうだ、活躍したいからだろう。

僕は違った。

好きな音楽を聴いて、買ってもらった中古のwindowsXPで持っていたゲーム機を改造したり、音楽を聴いたり、中学生ながらに過激なグラビアのビデオを見たり、そういう時間が好きで自主練はしなかった。


週末土日に練習があった。

周りは基本的に毎日自主練も含めて頑張っていたが、自分は平日の5日分が全く抜けた状態でハードな2日間を迎える。


そんな中、中学1年で膝を痛めた。

少しでも触ると激痛が走る。
歩くこともままならないほど。

ヨチヨチと歩く以外ができなかった。


自分はラッキーだと思った。


これでしんどい2日間の練習を、ボールを運んで昼ごはんを食べて、ボールを運ぶだけの簡単な2日間として過ごせると。

監督もコーチも、逸材が怪我をしたせいかかなり労ってくれた。

心地よかった。


そして、自分は中学の殆どの期間怪我をすることになる。

膝が治った後は腰を痛めてしまい、これがまた厄介で腰椎分離症という腰の骨が骨折してしまう怪我を負った。

これは引退する中学3年の夏前まで治らなかった。

その間、野球ではエースの背番号は1番なのだが本来僕のために用意されていた1番をつける人間が現れる。

彼は体も小さく、小学校でピッチャーをしていたというだけでピッチャーになった。

僕はあれだけ逸材だと騒がれながら、怪我で時間を無駄に過ごした挙句
大したことなかったはずの1人に全てを譲った。

僕は水がコップに注がれるように心の中でゆっくりと確実に上がってくる後悔に耐えながら

格好をつけて気にしていないフリをした。


何のために、この3年間を過ごしたのか。

いかにうまく怪我を長引かせて、だらだらと怠惰の極みを過ごす方法くらいしか習得できなかった。

監督やコーチもいつしか10年に1人の逸材はボールをただ運ぶだけの男としてみなし、
僕がいないチームを当たり前に作った。

そのチームを卒団する前に、監督が「高校を野球推薦で進学する気はないか?」と聞かれた。

いくつかの高校は、自分の事を野球推薦で入学してほしいと監督に言ったらしい。
入学試験もパスだと。甲子園にたまに行くようなチームだった。


親もそれを望んだ。「中学であれだけ言われていながら全く野球を楽しめなかった息子がかわいそうで」と。

自分はもう期待を裏切るのも、後悔するのも嫌でけれど自分に厳しくなれる自信もなくて


「高校で野球をやるつもりはありません」

と言い残した。


それから、自分は少し変わっていった。

人を裏切るのは、とても辛い。


向こうは僕が悪意がないなんてことはわかっている。

僕は今後誰にも期待されない事を望んだ。

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