親ガチャ

優秀な若手がちょっと目立つとすぐ出るこの言葉笑
もう、やめようぜ。と思いつつこの論争から身を守るために、この論争に心をすり減らさないように決めていることがある。
それは「子どもたちに存分に愛情を与えることだ」

あえて言うと、私はおそらく親ガチャ当たりタイプではない。
経歴・見た目・そのほか全てにおいて自他ともに認識に相違はないと思われる。
ただし、親ガチャに当たったとは思えなくても外れた、とも嘆かないで済んでいる理由が明確にわかっている。

「愛された記憶」だ。
正直に話すと、隣のあの子が羨ましいことなど数えきれないほどあった。
こっちが忙しくアルバイトして、取捨選択して貯めたお金で留学を計画している横で、
「さっき決めて親に予約を取ってもらった」という友達がいた。
テニスはお金がかかるから習わせられないと言われた横で、スクールに行き、かわいいウェアを供給過多で与えられている友達がいた。幼いころから我慢も取捨選択も生活の中に当たり前にあった。その都度「私は親から愛されているから前向きに頑張ろう」など思えるわけない笑。「実家金持ちとか最強じゃん」って思ったことはある。

それでも
「与えられたものでやる」というスタイルを親は愛情をもって私に教えてくれた。
「どうやったら出来るか」という手段を前向きに導いてくれた。
「今の自分でなにがしたいか、できるのか」と考える環境を与えてくれた。
「うちは金がない」など耳たこフレーズだったけど笑

そのおかげでたまに他人を羨ましいと思いながらも、無駄に他人と比較せず、健やかに過ごせている。

だから、私も「親ガチャにあたった」と誰からも思われないであろう未来の自分の子どもに他人と比較することなく愛情たっぷり、希望たっぷり、制限やガチャ要素はあれど自分の人生を楽しむ術を教えていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?