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辛さを経験する事

どうもこんにちは

関西大学ラグビーの秋の公式戦の中止が決定してしまいました

最終学年の選手にとっては最後の大会が奪われた事になるわけで、これまで頑張ってきたものが全て叩きのめされてしまったと感じている人、これから何を目標にして頑張ればいいのかわからなくなっている人もきっといて
そんな苦しい状況にいる若者に一体どんな言葉をかけられるでしょうか

私が携わっている高校ラグビーも、現時点(2020年9月上旬)では冬の全国大会が開催されるのか否か未だ不確定のまま
選手たちは不安の中で毎日の練習に励んでいます
それでも彼らは今できる事に必死で向き合い、戦っています

それとは関係なくとも、毎年必ず怪我でその機会を失ったり、レギュラー争いに破れグランドに立てないなど様々な理由で大会や試合に出場できぬまま引退していく選手が少なからず存在します。

戦う機会を持てぬまま、キツイ経験と悔しい思いだけを抱えてそのピリオドを迎えるという意味では、大会自体が無いのも怪我やメンバーから外れて試合に出られないのも近しいものがあります
そしていつも、そんな選手にかける言葉が見つけられず私は自分の不甲斐なさを痛感しています

私ができるのは、ただその辛い経験をいつの日か「あの時のあの経験があったから」と前向きに語れる日が来て欲しいと願う事だけです


話が飛躍してしまうかもしれませんが

私の妻は20歳のころ、血液ガンを患い長い期間とても辛い闘病生活を余儀なくされました
当初5年後の生存確率が50%であること、治療の副作用で子供を授かることが難しくなる可能性がある事を告知され、そして何より抗がん剤の副作用によって肉体的にも精神的にも辛い毎日を送りました

幸いにも、その後彼女はその辛い闘病生活を乗り越え
今は2人の子宝にも恵まれ、ささやかながら人並みに楽しい毎日を送っています(と私は思っています)

いまとなれば、そんな苦しい日々も
妻は『いい経験』と笑って話します。
ポジティブに捉えるならば
『あの経験のおかげで強くなる事ができた』と言う事も出来るくらいです

しかし、その苦しい最中にいる時には『これをいい経験にしよう』だなんて思いもしませんし
その苦しんでいる最中に「いい経験になる」などと声をかける権利は他の誰も持っていません


苦しい時にできるのは、ただ今できる事を精一杯やる事だけで

周りの人間に出来るのは、ただ見守り
時に励ましながら応援することだけです


私の好きなドラマにこんなセリフが出てきます

"There’s no lemon so sour that you can’t make something resembling lemonade"
(どんなに酸っぱいレモンでも、レモネードっぽいものは作れる)

レモンの酸っぱさと苦味を知っているからこそ
甘いだけの砂糖水では無く、酸味と苦味が効いたレモネードの美味しさを知る事が出来るのです


私が偉そうに語ったところで、なんの励ましにもならないかもしれませんが

いま辛い状況にいる人は
とにかくいまできる事、いま目の前にある事に精一杯取り組んで欲しいなと思います

残念ながら
その先に必ず望んだ結果が待っているとは言えません

それでも

暗く長いトンネルの中を
もがき苦しみながらも必死で前に進み
いつかそこから抜け出した出口に、仮に何のご褒美もなかったとしても
ふと振り返れば
そのトンネルの暗さと長さを糧に、自分が自分をどれだけ成長させられたのか
知る事ができるでしょう


それがきっと
辛さを経験する事の意味なのだろうと
私は思います








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