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在宅介護者必見〜認知症の人との接し方3つのポイント

在宅でご両親や親族の介護をしている方、日々の介護お疲れ様です。育ててくれた大切なご両親とわかっていながら、自身の仕事、同じことの繰り返し、思うように言うことを聞いてくれない苛立ち。このnoteではそんな認知症患者とさまざまな介護施設で派遣として介護した、にわか介護士である私の経験で、うまく行った接し方をお伝えしたいと思います。

プロの介護士ではない私のやり方でうまく行ったやり方なので、何かしら身近に感じてもらえるかと思って書いてみました。

否定をしないこと

さっき食事をしたのに、「ご飯まだかい?」と言われることありませんか?
僕が派遣された介護施設でも多くの認知症患者さんがこの言葉を言ってきます。
ここで、「さっき食べたでしょ!」などと、相手の間違いを正して正論を言うのは「百害あって一理なし」なので絶対やめましょう。
間違いなく「食べてないよ!」と頑なに言い張り、相手のガードが固くなり、こちらの誘導に従わなくなります。

認知症患者の彼らの事実では、確かに「食べてない」のです。食べてないと脳が判断してしまっているので、食べてないことになります。その世界観を絶対壊してはいけません。
事実が正解ではないのです。ここで大切なことは、相手が本当に食べてないと訴えてきていることを、しっかり受け止めることです。
そんな時はこう答えてください。

「ああ!ごめんなさい、持っていくつもりが私が忘れていました!本当にごめんなさい。今日は俺はどうかしてるよ。。。許してね。今から準備するから10分、待ってくれないかな?」と。

すると相手はこう返してきます。
「そんな、謝らなくていいんだよ。アンタも忙しいんだろ?10分かい?いいよ、待ってる。どこで待ってたらいい?」と、すんなり聞き入れてくれます。
10分もすると忘れてしまうので、お茶でも渡しておけば大丈夫です。

この方法は別シチュエーションでも使えます。
認知症患者は夕方になると帰宅願望が出てきます。
夕暮れは何か寂しさを感じるのでしょうか。よく、夕方になると家に帰るんだと言い張るようになります。そんな時も、「ここがあなたの家なんだよ!」などと言ってはいけません。かえって、「何言ってんのよ、ここは私の家じゃない、冗談じゃないわよ!」と怒り始めます。

そんな時に有効な言葉は次の言葉です。

「家はどの辺なの?(場所を適当に聞き出す)。あ、○○のあたりなんだ!俺もそこが地元なんです。もしよかったら一緒に俺と帰ってもらえないかな?一人だとちょっと俺も引っ越してきたばかりで道がわからなくて不安なんだ。○○さんが一緒なら助かるんだけど・・・俺のワガママで申し訳ないけど・・・どうですかね?」

ここでのポイントは2つ。
①相手の帰宅願望を否定しないこと(ここが家でないと受け入れる)
②一緒に帰る時、こちらのワガママで助けてほしい、と逆に力を借りたい、と訴えること。

そうでないと、「一人で帰れるからタクシーを呼んでくれ」、とか、「入り口まで案内しろ」、と面倒なことになります。認知症患者は普段、厄介者だと思われていることはわかっています。社会から必要とされていないこともわかっています。それがとても悲しいし、情けないと感じています。わかっているんです。
だから、大切なのは、必要とされている、と思ってもらう状況を作ることです。

相手の目を見てちょっと遠目から笑顔で挨拶する

認知症、というだけあって、認知する機能が低下しています。
だから、わかりにくい表現は相手の不安や不信感を芽生えさせてしまいます。
なので、その日、もしくは、その時接触を試みるときは

数メートル離れた位置から少しオーバーなゼスチャーを交えながら挨拶すること。
相手の肩や手に触れながら、自分はあなたの味方ですよ、と訴える。
相手に対して、なるべく正面で平行か少し下側から話しかけるのが良いでしょう。
相手に威圧感や恐怖感を少しでも与えない、この人は安心して自分の話を聞いてくれる人だ、と思ってもらえるよう接しましょう。

あと、相手が話している間に遮ってこちらの意見や要望を言うのもやめましょう。
相手が全て言い終わるまではしっかり話を聞きましょう。
ちょっとゆっくりめな話すスピードが良いかもしれません。

相手の現役時代を想像して接すること

どうしても目の前の体も思うように動かない、排泄処理も自分でできない、など弱者としてみてしまいがちな認知症患者への意識。でも、彼らもこうなる前は、社会でバリバリ活躍していた凄い人たちばかりです。
在宅で両親を介護している人なら、自分が子供の頃、注意を受けたり、おもちゃを買ってもらったり、強く、頼り甲斐のある親としての目の前の両親を思い出しながら言葉をかけましょう。
施設に勤めている人なら、入居者情報などの資料に目を通すといいと思います。
どういう経緯で施設に来たのか、生年月日、住所、出身地、仕事についての情報があります。例えば、昭和40年代から50年代の時代をイメージします。
自分は子供だったでしょう。人によっては生まれてもない人もいると思います。
目の前の弱った認知症患者の顔を見ながら、タイムスリップします。
元気はつらつに働いて目も輝いて社会の中で活躍しているその人があなたの目を見て

「あら、あなたが私の面倒を見てくれてるのね、よろしくお願いしますね!」

と頼まれている状況をイメージするのです。
シャキッとしている目の前の大人にそう言われては、無下に扱えないことはなんとなくわかるはずです。
認知症になると目の力も衰え、どこに焦点があるのかがわかりにくい、ちょっと舐めた態度で接してもどうせ大丈夫だろう、とたかを括りがちです。
でも、目の前の認知症患者も日本を作ってきた大先輩なのです。
自分が子供だったり未熟な若者であれば、彼らから耳の痛い話をされるかもしれません。敬意を持って相手に接するべきなんです。

僕は会社経営に失敗して、借金が返せず、何をして良いかわからない状況で始めた介護ですし、週5日出ている本職の介護士の方々に比べて劣っていることはわかっています。ただ、にわか、だからこそ、相手の気持ちに寄り添ってコミュニケーションが取れる、と言うこともあるのだと思います。

週5日も認知症患者と接していたら、やってられない、と思うことも多いでしょうし、施設の委員会なども携わらねばならない、など、ストレスも多いので私のこの内容に「理想はそうだけど、できないこともある」と言う声があることも重々承知しています。今僕は週1日、2日くらいしか介護をしていません。

介護の仕事をしたおかげで、自分は一人の人間として大きく成長していると感じています。相手の立場に立って提案する、当然そうしてきたつもりでも、独りよがりな営業だったのではないか、など色々思うところがあります。

今は幸い少しずつ復活に向かっており、また再度起業を考えています。
介護の経験が今、お客様と接するときの信頼度アップにも繋がっていると実感しますし、これは認知症、と言う特別な世界ではなく、お互い、人間対人間が社会の中でお互いが気持ちよく生きていくために必要なコミュニケーションなのではないかとも思っています。

今、どんな状況に置かれている人も、自分らしく、相手を気遣いながら、自分も気にしてもらえる、誰もが輝ける社会の実現に向けて・・・


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