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看取り〜お別れの時

 年明けにある一人のおばあさんが、看取り契約となった。看取りとは、症状の改善が見込めず、かといって医療行為による延命も難しいため、穏やかに過ごしていただいて、施設で最期を迎えることを了承してもらうことを言うらしい。
そのおばあさんをMさんとしておこう、、Mさんのご主人は有名な大学の教授でご本人も家庭科の先生をしておられた女性だ。今はほとんど言葉も話せず、たまに
「そうね」
「はい」
「ふふふ」
などの言葉を発するくらいで、身体もダラーりと力なく立つこともできないため、ベッド上での排泄介助となってしまった。ずっとトイレだけは、フラつきながらもしっかり手すりを掴んで踏ん張ってもらって、ズボンを下ろしたりしていたのだが、それすらもうできなくなった。

Mさんには、何度も笑われた。夜勤が多いので、パジャマへの更衣の時独り言のように「着患脱健」と呟くのだが、その度に、モタモタして着替えさせている時に
「ふふふ」
と笑われるのだ。腰が痛くなって
「痛い、もうダメだ、限界」
と呟くと
「そうですか・・・ふふふ」
とまた笑われる。とても少ないコミュニケーションだが意思疎通を図ってもらえるとこちらも嬉しい。その日も夕食後、歯磨きして居室でパジャマへの更衣の時間だ。普段は目の前のパジャマをパッと着せてしまうのだが、その日は、なぜか
2つパジャマを出して、
「どっちにしようかね?」
と打診してみたのだ。眼球が細かく動き、2つのパジャマを見比べて、しばらくして、ゆっくりとだが、しっかりした動きで指差ししてパジャマを選んだのだ。
「そうか、右のパジャマがいいかね、確かに、今日はその方が色合い的にも似合ってるよ」とこちらも答えるとニコニコしながら頷くのだ。
モタモタする更衣もだんだんましになってきた。着替えさせて、ベッドに移乗して寝かせて照明を落とし、ドアを閉める。

 全員パジャマ更衣を終えてフロアはシンと静まり返る。モップがけ、トイレ掃除などこの時間しかできないことをこの時間にするのだ。決まった時間に巡回をするのが夜勤のルーティンなのだ。
基本的に22時、0時、3時、5時だ。しかし看取り契約となった場合、
一時間ごとに部屋に入って確認をするのだ。21時、ドアを開け、息をしているか確認。まぶたがかすかに動き、吐息が漏れるのが確認できた。
フロアに戻り、記録記入作業に戻る。夕食後はどうだったかな、などと思い出しながら記入するのだ。
22時、部屋に入る。息をしていることを確認。定時のパット交換。少し排尿のあとがみられる。アズノールやプロペトと呼ばれる軟膏を適宜塗布。体交を行い部屋を後にする。

 0時、ある程度慌ただしい作業は終わり、夜食を食べる。この時間がなんとも言えない至福の時間だ。コンビニで買ってきたパスタとおにぎりを食べ、本を読んだり軽く目を閉じたり。シンと静まり返った夜中、ウトウトとしてしまう。突然どこからか、女性の悲鳴が聞こえてくる。
心臓が破裂するかと思う勢いで目がさめる。
「きゃー!○×▽ウゥぅう!!」

なんだかわからんがとにかく怖い。どこだ!?幽霊?落ち着け、103号室から漏れてくるぞ。ドアを開けると、テレビの韓流ドラマを見ているおばあさんがいたのだ。しかもボリュームが75まで上がっている。ん?見てるんじゃなくて寝たままテレビだけ付いていたのか。韓国人の女優2人が取っ組み合いの喧嘩をしていたのだ。そんなシーンを夜中にやるなよ、ベッドにあったリモコンでボリューム調整をするもなかなかボリュームは75なので下がらない、って言うか、寝てるんだから、切ればいいじゃん。と電源オフ。

 さて、2時だ。またMさんの部屋に入る。耳を近づけると息をしているのは確認。反対側に体交して部屋を出る。介護の夜勤はまぁ、こんな感じだ。誰かが部屋から出てトイレに行くときは同行して様子を見守る。水が飲みたいと言われれば、白湯を出して対応。介護というと暗いイメージもあると思うが、現場はそこそこ楽しい時間もあったりしてなんとも言えない業界というか職場である。

 そんな中3時の巡回が来た。みんな部屋に入って寝ていることを確認。Mさんの部屋にも入る。その時である。Mさんがスーッと息を吸って吐いて。
ふむふむ、じゃ、パット交換をしよう、とキャビネットを開けてセットを取り出してベッドに戻るとなんか変だ。あれ?息?顔を近づけて再度確認をするが、待っても待っても息を吸わない。
「あ!息してない」
慌ててバイタルのセット一式を持ってくるが、反応がない。
俺の時に・・・どうしよう・・確か、ルールとしては、順番があったはず。
事務所の壁紙を見ると書いてあった。バイタル後、ホーム長へ電話。指示を仰ぐ、契約している病院へ連絡、施設近くに住んでいる責任者クラスの介護士へ連絡などなど順番を辿りながらなんとか進めることができた。

 しばらくしたら、病院関係者、近隣に住んでいる介護職員、ご家族などが到着。
最期を自分が看取る形でMさんをご家族が見守る中、送り出すことになった。
慌ただしい時間が過ぎ、朝を迎える。良い天気だ。太陽がパーッと上がってきてまた1日が始まる。申し送りを早番、日勤に伝え、施設を去る。

 ああ、お腹が空いたな。人が一人死んだのに、腹は減るんだな。どこかで軽く食べて帰ろう。一人飯なら・・・大丈夫だろう。
 


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