ここがスゴイ!超本気のアニメレビュー

今の僕には猛烈に金がない。まともな職もない。なんとかしてお金が欲しい。そこで、大好きなアニメをネタにして、小銭を稼ごうと考えた。しかし内容に関しては、絶対に後悔させない内容にしようと本気で書きます。この文章を通して、ここに載せたアニメに興味を持って頂ける人がいれば、それはとても幸せなことです。ですが、それ以上に僕と同じような意見を持っている人と感動を共有できたり、この文章を読んでくれた人の発見のきっかけになれたり、僕に新しい発想が生まれたりすることが少しでもあればいいなと思っています。
作品紹介の方法としては、アニメの話数やシーンをある程度細かく指定して紹介したり、作品のポイントになる言葉やモノ、何かを指定してそれについて考察したりしていきます。とにかく、僕の中で自由に、アニメに関することをできる限りたくさん、書いていきたいなと思っています。画像や動画は締め切りまでの時間がなくて面倒くさいのと、利権関係怖いので使用しません。一見さんが絶対について来られなくなるのは承知の上です。それでも、伝わる人にはきっと伝わると思っていますし、興味が湧いた人は、こんな駄文なんてさっさと忘れて作品を見てもらえればと思っています。キャラの呼称や鉤括弧つけるつけないとかもグチャグチャになってますが、ご了承ください。

氷菓 京都アニメーション ~ポイントになる話数を取り上げて~

僕は面白いアニメというものが「インスタント面白い」と「考えて面白い」という二つの系統に分類できると思っているんですね。これは僕が知っているアニメの中で最も後者寄りの作品です。もう数えきれないくらい、何年にもわたって見返していますが、新しい発見と理解がどんどん見つかります。キャラクターの表情や目線に注目するだけで、尋常ではなく練りこまれていることが伝わってきます。原作の小説を非常にうまくアニメに仕立てているなと感じます。ここでは3つの話数を取り上げて、それぞれについて見ていこうと思います。

#11  「愚者のエンドロール」奉太郎と入須、茶屋での場面
この場面は、「氷菓」のアニメ作品の中で大きな話数を占めている三つのまとまりの中の一つ、そのクライマックスです。アニメ全体の前半の中心部である、千反田の過去を探るストーリーを経て、奉太郎自身が少しずつ自身の能力と才能について自覚していく中で、入須に対する不信感は頂点に達しています。このシーンのスゴイところは奉太郎の表情だと思います。作中通した奉太郎の表情のなかでこのシーンよりも奉太郎が感情的になっているシーンはないと思うんですよね。千反田や入須によって徐々に変化してきた奉太郎ですが、それは「本物」ではなかったのか、という怒りとも憎しみとも一言では形容できないような感情が爆発しています。ぶっちゃけると主人公のする表情ではないですよね。それに対する入須のほうですが、心底どうでもよさそうなあの作画は秀逸だと思います。京都アニメーション(以下京アニ)は光と影の当て方でキャラクターの心理表現を非常に多く使っていると思いますが、ここにもそれが使われていますね。この場面は特にその光と影がわかりやすいところで、なおかつストレートな分効果的だと思っています。キャラクターに深く感情移入しないような方でも、この両者の表情や体の動きの作画をみると、いい難い感情の揺れを味わえたのではないでしょうか。
このシーンでもう一つ素晴らしいポイントは声優さんの演技だと思います。少し脱線しますが、「氷菓」というアニメはキャラクターデザインが本当に秀逸だと思います。原作に挿絵が無いため、制作サイドが全力を出し切れたという点があるのでしょうが、それにしたって全員が素晴らしいデザインだと思います。声優さんのキャスティングも、私としてはドンピシャですね。声優さんが合っているキャラ、というのはたくさんいると思いますが、このアニメは本当にキャラクターがそのまま会話しているように感じるんですよね。声優さんがキャラに合っているともいえるのでしょうか。これは個人差があると思いますが。話を戻します。この場面の中村悠一さんとゆかなさんの演技は本当にすごいなと思いますね。奉太郎の感情が昂っていくんだけど、どこか冷めている感じとか、入須の全くテンションが変わっていないようで、どんどん突き放されていくような声のトーンとかとか。最後の「それを聞いて安心しました」というセリフは感情のこもり方が半端ないですよね。それから奉太郎が壁を叩く場面と合わせて、本当につらい気持ちになります。
この茶屋での場面、奉太郎が帰る場面、部室の場面という展開は文字だけでみると決して派手ではありません。しかし映像を見ている僕にとっては、一つ一つのカットにこもっている奉太郎の感情に圧倒されます。内容や起きていることは言葉にするとパッとしませんが、それをあそこまでにしてしまうところがこの作品の、そしてアニメの良さだと思います。

#17  「クドリャフカの順番」奉太郎と田名辺 駐輪場での場面
「クドリャフカの順番」のシリーズは通して6話分あります。これは「氷菓」作中のまとまりで最も長い話数を使っています。量という項目だけで考えれば、このアニメの中で一番大がかりなミステリーであるといえるでしょう。17話、駐輪場の場面ではそれらの真相が語られます。ここで僕が大好きなポイントは奉太郎の威圧感です。この点を説明する前に、ここに至るうえで重要だと思われる事柄をいくつかおさらいしましょう。「クドリャフカの順番」に時間が進むまで、先に挙げた「愚者のエンドロール」も含めて、奉太郎は人間的にも推理の能力的にもとても成長しています。この「クドリャフカの順番」シリーズでは、奉太郎、里志、摩耶花のそれぞれが違う形で、才能や能力、それを持つ者と持たざる者というようなことについて悩みます。そのような状況で奉太郎は「クドリャフカの順番」のシリーズを通して、これ以降の物語に影響するようなブレイクスルーが起きているような描かれ方をされているように見えます。里志と成長した奉太郎の対比はこれ以降に物語のキーになっていく部分です。このような物語の状況を踏まえて、先ほどのシーンの考察に戻ります。奉太郎が田名辺に詰め寄るシーンですが、まず第一に奉太郎めちゃくちゃかっこいいですよね。ここまで大きな謎というものも、長い種明かしというのもこの作品には他にありません。奉太郎はこれまでと違いどこまでも冷静に、最後まで表情一つ変えずに田名辺を追い詰めていきます。犯人は田名辺だと断定するシーンはこのアニメの中で屈指のカメラワークと作画だと思います。フワッと横ブレさせながら引くあのカメラワークと奉太郎の画は、これまで場数を踏み、挫折も味わった奉太郎のかっこよさが隠しきれずに滲み出ているようです。そしてそれ以後、田名辺によってミステリーの真意が語られ、奉太郎もそれに気が付きます。BGMの終端に合わせたあの場面の終わり方は、見る側にとっても登場人物にとっても、スッキリとした解決にはなっていません。配置から見ても、奉太郎と田名辺と里志という構図は実に残酷です。17話中盤の奉太郎の部室での「期待ねぇ…」というセリフは、原作の質とアニメの構成力のすばらしさを感じるとともに、一言では表せない、いわゆる「エモさ」を感じます。

#22  「遠まわりする雛」ラストシーン
ここまで、物語と映像の絡みというところに重点が置かれたシーンを紹介してきましたが、このシーンは映像の美しさ、すばらしさが大きなウェイトを占めています。ぶっちゃけ可能なら見てほしい。僕は「一番好きなアニメのシーンをどこか一つに絞ってくれ!」と言われたら、熟考の末にここをあげると思います。それくらいこのシーンが好きなんですよね。背景もキャラもエフェクトも音楽も本当に素晴らしい。それに合わせて最終回でこの感じでくるのかーって感じなんですよね。今まで積み重なってきた物語をのせて、主人公とヒロインでこの画でくるのか、それはズルいわってなっちゃいます。物語としては、キャラクターの人生の時間の中では、本当に何気ない一場面になってしまうかもしれないという危うさや切なさが内包された場面であるから、というのももちろんあります。このシーンはすべての要素、それに加えて映像のすばらしさという点で、僕の中では他と一線を画したものであると言いたいわけです。
「氷菓」に関しては、語りたいことは実はもっとたくさんあるんです。特にキャラクターそれぞれの変遷という点です。物語の根幹に関わる部分ですし、冒頭で述べた「よく練られた作品」ということも、ここに関わってきます。こまごまとした物語も、最終回を迎えるにあたって各キャラクターに影響を与える理由になっていたりするわけです。奉太郎と里志が#21 「手作りチョコレート事件」を迎えるまでの変化という点は、作品のかなり序盤から見る側にもわかるようにヒントが置かれていて、これ周回を前提に作られてるんじゃないかって思うくらいです。京アニが本気で作るとこうなるのかというのを実感させられる完成度の作品だと僕は思っています。「氷菓」についてはこの辺にしましょう。

キルラキル TRIGGER ~タイトルとキャラの名前の話~

続いては「キルラキル」を取り上げようと思います。「氷菓」はいろいろ考えを巡らせながらみることで、魅力を倍増させる作品でした。しかし「キルラキル」はそんなことをする余裕がないほどハイスピードでハイテンションです。そんな「キルラキル」ですが、当たり前といえばそうなんですが設定からすごく作りこまれていると思います。一言でいえば、無駄がなくすべての設定が一つの箱に収まっているんです。「キルラキル」というタイトルですが、切ると着る、がかけられているのはわかると思います。ですが、その単純なシャレは、本編の内容の重要な設定である生命繊維と人間の関係についてうまーく表現しているタイトルだと思うんですよね。そこに切るか切られるか、着るか着られるか、という意味も込められているわけで、こんなに良くできたタイトルってなかなか見つからないんじゃないかなって僕は思っています。作中の固有名詞も絶妙にもじってあったり当て字になっていたりして、ノリと勢いが先行している中でも、制作サイドの緻密さがうかがえます。個人的には最終回の鮮血更衣(センケツキサラギ)が、衣替えの意味を持つ更衣という言葉で、なおかつセーラー服を卒業する春の意味としての如月としてかかっているところなんて、言葉遊び大好きな僕からしたらたまりません。さらに全員分の生命繊維を吸収することで、残った生命繊維を事実上すべて消し去っており事後処理にもなっているわけです。羅暁が鮮血更衣のことをパッチワークと言っているところも、先に挙げた言葉遊びの一例としてとても面白いですし、巧みなセリフだと思います。BGMのタイトルなんかも世界観に合致するような遊び心満載のものがたくさんあるんですよ。サントラチェックしてみてください。
また、このアニメって僕は何週も見てるんですが、ほかのアニメにあるようなしょーもない伏線をほとんど張ってないないんじゃないかなって思ってます。(伏線の話はのちに少し取り上げます。)ただ伏線というようなものが全くないわけではありません。話が進んでゆくにつれて、だからそうだったのか、というような爽快感を得られます。それが主人公の流子という名前であったり、本能寺学園というメインの舞台であったりするわけです。普通、人の名前に「流れる」っていう文字はあまり使わない気がします。ところが、流子はそんな名前が付けられるのがふさわしいような出自なんですよね。それは確かに序盤から示唆されていないこともないんですが、映像を見ている時にはそんなことを考える余裕を与えてくれません。(誉めています。)中盤以降にかけて流子の過去が明らかになってくると。いろいろ合点がいくようになっています。本能寺学園という名前も同様で、後々になって「ああ、なるほどな」と思うような演出です。このような回収の仕方は作品のスピード感を損ないにくく、なおかつ事前準備の緻密さを物語っているようで、僕にはたまらないポイントなんですよね。こんなポイントがたくさんあって、なおかつ絶妙な噛み合い方をして作品の雰囲気作りの一端になっていると思うんです。だから最初に「一つの箱に収まっている」という言葉をつかったわけです。

脱線1 テーマの回収と見る側にかかるテンション 僕の価値基準

僕は今の「キルラキル」の話の中で、しょーもない伏線という言葉を使いました。僕が考える、創作物と伏線の回収というテーマで少し脱線したいと思います。一言で言うならば僕は、何かのテーマ一つを長い時間引っ張るアニメがあまり好きではありません。具体的に説明します。例えば「交響詩篇エウレカセブン」のような50話を超えてくるアニメがありますよね。僕はエウレカセブンシリーズは大好きなんですが、簡単に言えばレントンとエウレカの成長物語なわけです。物語中にはたくさんの謎があって、それらすべてを50話近くかかって回収していきます。僕も見ている途中に長さそのものに対してしんどくなることがあったわけなんですが、意外と見る手をとめられなかったのです。謎が明らかになる間隔や「テンポ」がよく、高い構成力があったからなんだろうと分析しています。僕がこの脱線1で言いたいことは、面白くない時間が多いアニメは好きじゃない、もっと言えば良くない作品だ、と思っているということです。エウレカセブンのように時間が長い作品でも、テンポの良し悪しや構成で、見ている側の楽しさが全く変わってくるというわけです。しかし、エウレカセブンは冒険と謎がメインであって、種明かしがある作品でないとテンポや構成の問題は重要視されないかもしれません。そこで最初のテーマを引っ張るというところに戻ります。ずっと同じことをやっている、変化してほしいのに変化が訪れない、主人公がブレイクスルーを迎えるためにつらい目に合っているのに辛い時間のほうが圧倒的に長い、こんなアニメって意外と世の中にいっぱいあると思うんですよね。結局アニメっていうものは「娯楽」の一種であるわけですから。僕から言えば、アニメっていうものは見た後のあの感動、爽快感、解放感、充実感がものすごく重要なわけです。バットエンドを嫌悪しているわけではありませんが、結局僕は面白いアニメをみて幸せになりたい、というのが一番の理由なわけです。そうなると、やっぱり面白い時間、幸せな時間が多い、あるいはそれが巧みに配置されているということが物語があるものすべてに重要なことなんじゃないかと思います。
僕は上記を踏まえて、いかに効率よく不愉快にならないギリギリのラインで見る側にテンションをかけてそれを解放してやるか、ということが面白さにつながってくると思っているんですね。この見る側に対するテンションがかかりすぎていたり、本来の面白さを損なっているんじゃないかというのが、僕が言ったしょーもない伏線というわけです。これから先で紹介するアニメに関しても、この脱線の話題はいくつか登場します。

SHIROBAKO P.A.WORKS. & ガールズ&パンツァー アクタス
 ~大人数のキャラクターと有能な主人公~

僕がめちゃくちゃ好きなこの二つのアニメは両者ともに水島努さんが監督をされている作品です。これらの作品は登場するキャラクターの数が、一般的なアニメに比べてとても多いと思います。しかも全員が物語に必須のキャラで死にキャラが全くいません。誰かが霞んだり、無駄になっているような印象もありません。僕の中ではこれってとてつもないこと、才能だと思うんですよね。水島監督だけの力ではないことは間違いないことですが、ポイントになっていることも事実だと思います。吉田玲子さんの力もめちゃくちゃ大きいと思いますし。大人数が出るアニメってやはりまとめきることが難しいことは明らかで、とっ散らかってしまっている作品も多い中、この二つは僕の中でまさしく特異性を持っている作品なんですよね。あと、チームで何かをしたり、グループにまとまりがもたらされていくような作品は、主人公一人と他のキャラクターが順番待ちのような形になって、この子を解決したらこの子、みたいな感じで終わったら切り捨てみたいなパターンがよくあると思います。この二つはそれになっていないんじゃないかって思っています。こういうポイントが大人数のキャラクターが登場するという点に対してすごいと言っている理由です。
この二つの作品のもう一つのポイントは主人公が非常に有能なんですよね。強いです。これはなろう系小説何かにもよくあることだと思います。主人公がもとから有能だったり成長している場面の描写が少ないと、キャラクターの深みは出ない分、前項で述べたように見る側にテンションがかかりにくいわけです。この二つのアニメは作風からだと思いますが、技術的に、能力的に主人公やキャラクターが辛い場面に遭うところが削られていたり、うまく見る側の不快感が増幅しないようにされていると思うんですよね。問題から解決のスパンも短いですし、割かれている時間も短く、なによりも困ったときには仲間と支え合うんですよね。先ほどからアニメにはキャラのブレイクスルーが重要と言っていますが、この二つは逆にブレイクスルーを大がかりにしないように、サクッと周りの人間が成長させてやる。これは速いテンポにつながりますし、成長した理由に対して見る側が納得しやすくなる理由になると思うんですよね。もともとから能力はあったキャラが周りの助けによって本領を発揮できるようになるという展開は、主人公を詳しく知っている見る側の人間からしたら、とてもわくわくしますよね。「SHIROBAKO」と「ガルパン」は主人公が本当に見ていて頼もしくて、それが面白さのキーだと思うんです。
「ガルパン」に関しては、作中の戦車戦の映像やセリフに関しても尋常ではない作りこみがされていて、そこも取り上げてもよかったんですが、他に詳しくやっている人がたくさんいそうだったのと、映像を使いながらの方が効果的かと思ったのである程度は省略したいと思います。それでも挙げるならば、テレビ版最終話のVS黒森峰のラストシーンや劇場版のラストの戦闘の部分で、砲弾をブレーキで躱しているⅣ号ほんとかっこいいです。鳥肌立ちますね。また劇場版のダージリンやノンナが撃墜されるシーンのセリフもこれ以降の戦局を先読みした言葉で、みほもそれを理解しているというのもかっこよくてたまらないです。劇場版最終章の確か二話だったと思うんですが、梓がキューポラの上に立ってるシーンを劇場で見たときは全身鳥肌でしたね。みほの西住流を後輩でなおかつ未経験者だった梓が継承しているっていうのがほんとたまらんです。登場人物が有能だとかっこいいんですよね。
こういう主人公の系統でもうひとり言及したいキャラが「咲-Saki-」の咲ですね。これに関しては漫画原作作品なんで、原作者のセンスが流石だなと思わされますね。あの感じの最強主人公にロングスカート履かせるセンス、やばすぎます、超かっこいいです。
最後に「ガルパン」の演出についてです。このアニメ、本当に重要なテレビ版ラストと劇場版ラストはBGMが消えてセリフも一切なくて、戦車の音だけになるんですよね。こういうセンスが他のアニメと差が出るところなんだろうなぁと思っています。劇場版のラストにⅣ号がアトラクションの山を駆け上がるときのカメラアングルとナチュラルなスピード感、戦車の駆動音はスゴイですね。見ているときに時間が止まるというか、スローモーションになっているような感覚に襲われるんですよね。ちなみに僕は映画10回行ってます。それくらい見どころがあって魅力的な作品なんです。

フリクリ Production I.G\GAINAX ~アニメにおける表現力~

「フリクリ」、初めて見たときの衝撃は今後絶対忘れないでしょう。一種の究極のアニメ、麻雀や将棋の世界では「神の手」なんて言葉がありますけど、「フリクリ」は神のアニメに最も近い作品なのでは?って思ったりもします。結局アニメって映像作品なんです。映像の中でどれだけ表現できるかどうか、「見て」面白いかどうかなんです。「フリクリ」は僕にこんな考え方をもたらしたという意味で、僕の中で特別な作品の一つなわけです。アニメ表現の限界をさぐってやろう、突破してやろうという制作側のパワーが伝わってくる、そしてまとまっている(ここも重要です。)、こんなアニメは他に見たことがなかったので衝撃でしたね。
物語の発想、作画、カメラワーク、音楽との絡み、キャラクターの魅力、こんなのありかよって思いました。それでいて散らかっていない、見終わったあとに追いついてくる切なさと爽快感は、何度も何度も繰り返し見たくなりますね。特に音楽、thepillowsとアニメの融合は凄いの一言ですね。僕はもともと別口でpillowsのことは大好きだったので、一話を見て、「こういう感じで来るんかよ~、これはずるいなぁ」と大興奮でしたが、初めてpillowsを知った人でも、興奮は変わらないと思いますね。Adviceのイントロから画面が騒がしくなって、メインの音がなり始めた瞬間や、3話のRUNNERS HIGH、音楽がなってピタッと止まる、最終回でLast Dinosauがかかり始めたときなんてもうたまらないっす。それだけじゃなく、メロウな音楽と映像の使い方もホントうまいですよね。音楽と映像、どっちが起点になって制作されたのかを想像することは邪推だと思ってしまうのですが、とにかく奇跡の産物といっていいのではないかと思います。だいたいOPもない割に、半分近い時間を歌詞がある曲や、映像に負けないくらい質のあるBGMをガンガン流しまくっているのにアニメとして成立していることが、まず普通ではないですよね。
少し横に逸れますが、僕は「フリクリ」を見る前まで、音楽とアニメの絡みという点では「ANEMONE/交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション」の横に出る作品とはそうそう出会うまいと思っていました。アネモネの映画の完成度も相当高いですし、過去の映像の使い方もとてもおもしろかったためです。しかし、「フリクリ」は余裕を持って僕の予想を超えていきましたからね。ハイエボ3、めっちゃくちゃ楽しみです。話を戻しましょう。
一つ話数を取り上げるならばやはり最終話でしょうか。まず物語のシメとしてもそうですが、一話単体でみたときの完成度、めちゃくちゃ高いですよね。時間がちょっと長いっていうのもありますけど。導入部分からあんな結末までもっていくなかで、なおかつ中盤にナオ太とハル子、二人の物語までしっかり挟んであります。二人一緒に居るときのプラトニックな空気感は個人的に大好きなんですよね。狙ってやろうとして失敗しているんじゃないか、っていうアニメもたくさんあるように感じますが、これはホント上手い、王道だなぁって思います。それを踏まえてあのバトルシーンに移行するわけです。緩急が半端ないです。あのラストのバトルシーンですが、地面がせり上がるところとか、世界が赤く染まるところとか、新劇場版のエヴァンゲリオンのインパクトのシーンにそっくりなんですよね。シークレットで庵野秀明さんが関わっていたという情報はあるんですが、エヴァの旧劇場版を受けてフリクリにもたらされたイメージなのか、新劇場版にフリクリのアイデアが少し関わっているのか、はたまた無関係なのか、そこがとっても知りたいですね。(調べたら出てくるかもしれませんが。)それからあの終わり。あんなに読後感がスッキリした作品ってそう出会えない。一瞬で自分の前を駆け抜けていった神作、一言で言えばそんなイメージです。

脱線2 伊勢と源氏、面白い物語とは

僕は「面白い物語ってなんですか?」と聞かれたときにパッと思いつくのが「伊勢物語」と「源氏物語」なんです。両者ともに面白さのポイントは山のようにありますよね。千年以上、色褪せるどころか人々の手によって魅力が増しているといってもいいんじゃないかと思います。なぜこの2つなのか。それは「伊勢物語」は究極の表現力、「源氏物語」は究極の物語性をそれぞれ持っている作品だと思っているからです。「伊勢物語」は非常にシンプルな本文と和歌でできた物語です。可能な限りすべてを削り落として、必要最低限の言葉で全てを表現する。表現できているからこそ究極の表現力がある作品だと思うわけです。書いてある以上の情報が分かる、感情が分かる、背景がわかる、それでいて非常に綺麗で簡潔な文体で過不足なく、最低限の量で書かれている。こんな物語は他にないと私には思えるのです。「源氏物語」は今言った「伊勢物語」の特徴と完全に逆です。世界最古の長編小説は、千年かかっても解き明かせない事柄が山のようにある作品のことだけあって、これ本当に人間が書いたの?と思わせるような構成力ですよね。中古文学のプロですら登場するキャラクターの系図を書き始めるとシッチャカメッチャカになってしまうほどです。紫式部は最初にそれを自分の脳内で構成させて文字に起こしたわけです。長さも分量も登場人物もスケールも描写も、全ての分野で極地にあったからこそ生まれた作品だと思うわけです。昔の人でさえ、「源氏物語」は仏様から紫式部が授かった作品だ、とか、こんな物語を書いた紫式部は大罪を犯した、なんて考え方が生まれるくらい特別で突出していたわけです。(源氏供養とかで調べれば詳しく出てくると思います。)「源氏物語」は物語を壮大に、なるべく多くの情報を、紫式部自身の言葉を使って描かれています。ここまでストーリーやキャラクターの関係性が突出した作品も他にそうそう無いだろうと思うために、究極の物語性ということばを使ったわけです。あとは2つセットで、「伊勢」から「源氏」という流れもロマンがありますしね。
この考え方は、僕がアニメやなにかを評価するときの基準の材料になっているため、ここに書きました。「フリクリ」や「キルラキル」は映像で表現するという観点で見ると表現力が非常に豊かであり、どちらかと言えば「氷菓」なんかは物語性に重点が置かれていると考えられるわけです。

物語シリーズ シャフト ~見る娯楽~

脱線1の中に、アニメは見る娯楽だ、的なことをいいました。僕の中で、物語シリーズはその言葉が一番ピッタリだと思うアニメだと考えています。一番最初に挙げたインスタント面白い系とも言えます。よくみる批判が、意味がわからない、そして、作画全然動いてない、紙芝居じゃん、というようなものです。僕はこんな意見に対して異を唱えたい。このアニメはそんなことを考えながら見るものじゃないと思うんです。この作品はパッと見だと色々とこちらに何かを考えさせようとしているのが感じられます。僕も一周目はそんな姿勢で見ていた気がします。ですが、だんだん雰囲気に慣れてくると、僕にはそんなことどうでもよくなっていきました。だってあるがままが面白い、キャラの掛け合い、物語の展開と収束、独特の画風、見たままが本当に面白いと僕は思うんです。まさしく見る娯楽、余計なことは考えない。僕は原作小説は未読なんですが、面白い文字が面白い映像に変化しているなぁというのはひしひしと伝わってきますし、もちろん原作の力が最高に優れていることはわかりますが、アニメはアニメでこれ以上ないものに仕上がってると僕は思うんです。
作画に関してですが僕は、動けばいいってものじゃないんだ、ということをこのアニメから実感しました。だいたいそこまで紙芝居ではないと思いますし。もし仮にこのアニメでガンガン動いていたとしても、画面が暑苦しいだけだと思うんですよね。画面、音、見えない部分を構成するこちら側、その3つが融合して初めて作品になるわけです。そう考えるとこの上ないピッタリな絵だなと思うわけです。
先程余計なことは考えないと言いましたが、謎がある物語ですので、そんな言葉とは裏腹に誰だって色々考えながら見ますよね。そこで映像に度々登場する「間」が、また良い働きをします。見たままが面白いと言いましたが、言ってしまえばこのアニメ、僕は結構ずーっと画面に食いついてしまうんです。そこでもこの間、です。情報が頭から飽和しないように、謎やセリフを整理する時間として、ダラダラおんなじ場面を続けないためにも、この間が作品のテンポをうまく整頓している、見る側をコントロールしているなと僕は思うんです。
ここからは実際の物語についてです。多数シリーズがある中で、僕はセカンドシーズンの花物語が一番好きです。まず物語シリーズセカンドシーズンに関してです。僕はこのセカンドシーズンが物語シリーズのアニメが最も成熟しているときだと思っています。話数も多いですし、メインキャラがそれぞれ主役を張って、化物語からの物語を一度精算するような位置づけです。本来表現したかった作品が、ようやく出来るようになったのかな、という推察もできますかね。それと同時に終わりを示唆する不穏な空気感もありますが、そこはテンションのかけ方、流石に上手いですよね。どう考えても扇がヤバいやつなんだけど、物語の核心には関わってこないから、重要な場面では物語に集中できる。でもそれぞれが終物語にかけてのフラグになっている。そしてこれまでを踏まえての、阿良々木なら絶対大丈夫だろうという信頼感も相まって、結局扇とのやり取りも面白いと感じることが出来るんだと思います。
花物語に関してですが、まずポイントとなるのは他の作品とは時系列が全く違います。現行でアニメ化されている物語シリーズの中で一番先を行っている物語なんですよね。そして途中から阿良々木も登場します。これによって見る側は、少なくとも阿良々木たちが現状について何かしらの解決があったのか?という見方を得ることができます。実はこのことは終物語だけでなく、続終物語の結末にも関わってきます。花物語の阿良々木たちに対する保証、保険は、どうやって物語を終わらせたんだろうというワクワク感、楽しみの材料の一つになりますよね。そんな花物語の内容についてですが、まず絵がすごく美しいですよね。ここまで明確に「春」が描写されている物語はほかに無かったのではないでしょうか。駿河が桜の下を走るシーンや部屋に花びらが舞い込むシーンの雰囲気は、物語シリーズ屈指の美しいシーンだと思っています。駿河が其ノ貳で走るシーンは、今までの過去から一瞬開放されたような生命力あふれる演出、沢城みゆきさんの演技で、とてもきれいですよね。駿河はあんな扱いをされていますが、実は作中でも屈指の有能なキャラクターです。臥煙伊豆湖が特別視していますし、今回の花物語、化物語の撫子の除霊のとき、学習塾跡で火災に遭遇したときなど、駿河がいないとどうしようもなくなっていた場面って実はたくさんあります。花物語の中でも、結局自力で問題を解決していますしね。そんな駿河ですが、やはり阿良々木の言葉の力は大きな後押しになります。行き詰まった駿河が、走り疲れて阿良々木と出くわしてから、最終話までの展開は本当に美しいと思っています。まずここでも駿河が走っています。先程とは動機や心境は全く違うと思いますが、こちらも素晴らしいシーンだと思います。ここから阿良々木の車のシーンが終わるまでの背景のオリジナリティと空気感、心の内を反映した道路の感じや日が明けてくるまでのセリフとの絡み見所がたくさんあります。阿良々木と車中での会話ですが、花物語では阿良々木は初登場。一言で言えばやっと戻ってきたか、てな感じに、この二人のボケとツッコミはほんと安心感ありますよね。そんなときにふと阿良々木が駿河に問いかけます。阿良々木ほんとかっこいいですよねぇ。このテンションでさらっと、なんの躊躇もなくいいますから。本物の阿良々木なんだ、ともなりますけどね。駿河の第一声「ままならないんだ」の一言。なんていいセリフなんだろうと思います。この状況でこの言葉を充てがうセンス、そこから駿河のセリフが続きますが、沢城さんの演技含めホントすごいなって思います。トーンは落ち着いてるのに悩んでいるのが伝わってきますもんね。そこから阿良々木の言葉と共にトンネルを抜けて、駿河は前を向きます。最後の阿良々木と駿河のスッキリとした声は本当に清々しくて、ここだけでも何回も見たくなりますね。そしてここからがまたすごい。駿河は沼地と勝負することになりますが、同時に駿河は宿敵を自分の手で死を自覚させなければ、殺さなければならなくなってしまう。しかし駿河は覚悟を決めます。そう決めたから。凄まじいメンタルですよね。阿良々木の車の中でも一瞬に「戦おうと思う」と言っていますし。これは特別扱いされて然るべきキャラだなと僕は思います。沼地と駿河のバスケのシーン、短いですが、作画めちゃくちゃ凄いです。動いてます。勝負の結末から、二人の会話、そして沼地が去るまで一瞬ですが、心地いい読後感とはこのことを言うんだろうと僕は思います。後日談に移って阿良々木が登場します。ここからがまたいい。物語シリーズ屈指のシーンだと思います。散髪のシーン。30話以上続いたセカンドシーズンのラストであり、続終物語の後日談ともいえる物語の終り。髪を切っているときの阿良々木のセリフは、物語シリーズ全てを振り返っているようでもあり、桜の花びらと、髪を切る音と共に、切なさと充足感に包まれます。続終物語のラストシーン、戦場ヶ原と阿良々木がジャンプして、今までのタイトルロゴがフラッシュするシーンと並んで、僕の中では特別なシーンですね。
最後に、忍野忍というキャラクターについて少しだけ触れたいと思います。僕、忍大好きなんですよね。可愛いです。理由はもちろんたくさんあります。話が進んでいくにつれて阿良々木との絆が深まっていきますが、一度阿良々木を殺した臥煙を殺そうとしているところとか、あれいつの間にかここまでになっていたんだってなりましたし。終物語の最後に二人で横になっているところなんて、幸せマックスでほんとたまらんです。そんな忍ですが、ここでは名前に関して一つだけ書いておきたいと思います。「忍」という漢字はあまりいい文字ではないですよね。そんな中、西武ライオンズの黄金時代を築いた森祇晶監督の座右の銘は「忍」という言葉だそうです。

好きな言葉は「忍」。1989年に優勝を逃した後、空いた時間に、妻の希望もあって中国を旅した。洛陽で高僧に「あなたはどういう言葉が好きですか」と尋ねられた森は「忍」と答えた。高僧は膝を打って言った、「大変な言葉ですね。忍という字は、心臓の上に刃をのせている。つまり、心の上に刃をのせている。これは苦しいことですよ」。さらに、「忍の字が好きだということは、あなたはそれができる、ということです。きっと、いい仕事ができますよ」。森はこの言葉を聞いて、全身に力がみなぎるのを感じたという。著書の『覇道―心に刃をのせて』のタイトルは、このエピソードによる。この著書は『週刊ベースボール』連載を元にしているが、連載時のタイトルはそのまま『心に刃をのせて』だった。 Wikipediaより

エピソードの信憑性はおいておいて、こんなニュアンスのある「忍」という漢字を名前にもらったキスショットは最初どんな気持ちだったのでしょう。彼女にふさわしい名前ともいえますが、なんて酷な名前なんだろうとも思えます。それを、自身の現状を受け入れて、阿良々木と時を共にすることを選んだわけです。傷物語からのこの変化は、感動しますよね。魅力満載のキャラクターです。
物語シリーズの次のアニメはどうなるのでしょうか、そもそも作っているのかすら情報仕入れていないのでわかりませんが、ぜひ作って欲しいですね。

凪の明日から P.A.WORKS. ~映像の質と脚本の質~

続いて取り上げるのは「凪の明日から」です。とにかく面白いし、なにより絵の綺麗さが尋常じゃないアニメですよね。ぶっちゃけて言えば、背景美術や単純な作画っていうものに関して、ここ数年京都アニメーションの一強だと思うんですよ。そんな中で、「凪あす」は少し違ったテイストで、ものすごいクオリティを叩き出してきたなって感じたアニメです。他にもきっと探せばたくさんいいアニメあるっていう話題は置いておいてですね。噂によるとこのアニメ、背景の使い回しが一切ないそうです。本当ならとんでもないですよね。本編を見たことがある方ならわかると思いますが、背景の書き込み、半端ないです。褒めているのかわかりにくいかもしれませんが、風景画ですよあれ。キャラクターの作画ももちろんですが、映像の質がとにかく高いです。作品の題材である、海、水、氷、そんなモチーフと相性が良かったのかもしれません。絵だけでも見る理由に十分になるアニメなのは間違いありません。
その絵にストーリーも全く負けていないところがこのアニメの素晴らしいところです。一応ここではオリジナルアニメとして扱います。(先行発表された漫画もあります。)絵が先行しているアニメって、見ているときによくわからなくなるというか、どこに注目したらいいのかわからなくなるというか、絵も引き立たないんですよね。「凪あす」は全くそんなことありません。ちゃんとキャラが世界に溶け込んでいます。前半後半でガラッと展開変わるところはもちろんですが、キャラの配置が面白いんですよねこのアニメ。危ういバランスをずーっと保ったままギリギリを進んでいきます。岡田麿里さん流石だなぁって思います。当たり外れ大きいイメージもありますけど、ここでは凄いバランス感覚を保ったまま仕上げきっています。ちさきだけは成長していて、光たちの世代に美海たちが追いついて来たときのハラハラ感とか、めっちゃおもろいですよねこれ。ちさきと紡が一緒に生活してるシーンとか、これいろんな意味で大丈夫なの?って思っちゃう自分もいるんですけど、面白さを感じている自分もいて、脚本と構成キレキレだなってなりました。あとこのアニメ、タイトル回収は無いのかなーって思いながら見ていたら、タイトルもギリギリで回収してきますからね。美海だけもう少し幸せにしてやれんかったのかってだけちょっと思うところではありますが。
ちなみに僕が一番好きなシーンは、さゆが要に思いを告白するシーンです。あのシーンは踏切の使い方とか天気と空気の感じとか、めっちゃ好きなんですよね。あと単純にさゆいい子すぎる。めっちゃかわいいし健気。一番好きですね。
「凪の明日から」は全ての要素を高水準に保って最後までしっかりと詰め切る、と、自ずとそこには最高のアニメが生まれてくるといういい例だと思いました。P.A.WORKS.さんもホントいい仕事しますよね。

ARIA The ANIMATION ~漫画原作アニメと雰囲気~

「ARIA」シリーズ、実は僕が一番好きなアニメです。これに関しては完全に好みというか、他のアニメとは評価する基準とか理由とか全く違う、いわば宗教上の理由みたいなものです。本当に見たい時に少しずつ見るようにしていて、今もまだ最後まで、映画までは見ていません。原作も持っているので。そんなこの「ARIA」シリーズの一期にあたるThe ANIMATIONですが、僕のような理由を抜きにしても見てほしいアニメであることは間違いありません。そうでなければここにもってきませんしね。
とにかくこのアニメ、雰囲気作りがすごくうまい、丁寧、綺麗です。よく雰囲気アニメって揶揄されていますが、ボク個人としては雰囲気アニメっていう形容は褒め言葉だと思ってるんですよね。それに「ARIA」に関しては雰囲気以外にも素敵なところは山程ありますし。原作は漫画なわけですが、原作の漫画がまず素晴らしいわけです。ちなみに創作物の中で僕が一番好きな作品も漫画の「ARIA」です。漫画って自分の手でページを進めるスピードをコントロールできますよね。それが出来る漫画は、スローテンポな物語と相性がいいのではないかと僕は考えているんです。漫画の「ARIA」は漫画としての特性も生かしている作品だと思うんです。それを何も考えずにアニメに落とし込もうとすると、漫画の良さを損なってしまうんじゃないのかなと思うんですが、これが上手いことそうなっていないんです。これってすごいことだと思うんです。画面上の情報量やBGM、声優さんの演技、カメラを振るスピードや画面の輝度とかも関係しているのではと思うんです。このアニメって画面が明るい気がするんですよね。話が、ではなく、物理的に光量が多いというか白味がかっているというか。そういった様々な要素を調節して、うまーく原作の雰囲気を保ったまま映像として完成させていると思うんです。OPとEDの入りなんかも普通のアニメとは違った工夫がされています。これもまたいいポイントです。こんなたくさんの要素が素晴らしい雰囲気の要因だと思うわけです。
このアニメは原作を非常に尊重してますが、それと同時にアニメオリジナルも軒並み素晴らしいです。一話からアニメオリジナルキャラクターのアイちゃんを登場させて、アニメを通しての統一感を演出しています。また、原作は一話ずつが独立した物語ですが、通しの時間経過は存在しているなかで、アニメではそんな原作から後半のほうの物語を一期に持ってきていたりもするんです。意外とそういうことを齟齬なく、メリットだけを抽出するのって難しい気もするんですが。特に11話は秀逸ですね。11話の原作は、実は漫画ではかなり後半の方の物語なのですが、一期のシメとして使っていて、これはこれですごく感動的です。粋な構成ですよね。
11話、本当に好きな1話ですね。先輩三人の過去の回想の中でアテナが歌うシーンは原作も凄いんですが、アニメはそれを超えてるんじゃないかって思うくらいのクオリティです。尺も目一杯使って、迫力も作画も歌声も、映像作品の良さですね。それから牧野由依さんの「シンフォニー」が流れるラストシーン。あの感じで、あえて最後はデフォルメされたキャラクターなんですよね。この演出は監督の佐藤順一さんが関わっているらしいですが、すげえセンス、そして原作との親和性、理解力だなと関心させられます。そりゃあずっと監督を任されるし、「あまんちゅ!」シリーズの監督にもキャスティングされますよね。納得です。
最後に一期で僕が一番好きな12話について取り上げたいと思います。12話はアニメオリジナルなんですが、めちゃくちゃいい話。天野こずえさんの作品はファンタジー要素がたくさん盛り込まれているところが特徴の一つです。12話はファンタジー系の物語だと思いますが、アニメオリジナルなのに溶け込んでいる感じがします。先を見据えたアニメ版らしい物語ですが、後半は二重、三重の意味で鳥肌が立ちました。僕はこのアニメもリアルタイムで視聴していたわけではありません。ある程度先の展開を知っている中で、明子の「さようなら、私のAVVENIRE(アッヴェニーレ)」というセリフ。泣きそうです。ただでさえ「シンフォニー」が流れながらのすごくいい場面で一杯一杯なのに、ラストでそんなセリフは反則ですよねほんとに。明子が少し前に灯里の正体に感づいたような描写がありますが、そこから見ている側も一気に引き込まれる感じがします。そして「AVVENIRE」という言葉です。未来という意味と共に、10周年記念作品のサブタイトルにもなっている言葉です。僕はそれを知っている時にこの話を見たので、もう感動がとまらなかったです。この場面で、この意味のセリフで、しかも10年後の伏線にもなっていて、しかもタイトルになる言葉で、もうホント、いいシーン。このアニメ、というか天野こずえさんの作品はこういう演出多いですよね。このアニメが茅野愛衣さんが声優を志すきっかけになっていて、「ARIA The AVVENIRE」に茅野さんが出演しているというのは有名なエピソードだと思います。そして「あまんちゅ!」のメインキャラの声を茅野さんがやっていて、葉月絵理乃さんと斎藤千和さんがサブキャラで出てくるんです。いやぁ、こんな感動的な配役ってなかなか無いですよね。「あまんちゅ!」を見ていて「ARIA」のコンビが出てきたときは、もうホントびっくりしましたし、嬉しかったです。こんなふうに物語の中も、作る側も、そして見る側も幸せに包まれている、そんなアニメです。新作が決まったニュースが少し前にあってとても驚きました。楽しみですが、まずは二期の途中からアニメを見終えないといけません。もったいなくって、まずはそれが出来るかどうかですね。

響け! ユーフォニアム 京都アニメーション ~アニメの熱量~

最後に取り上げるのは「響け! ユーフォニアム」シリーズです。自粛期間中、僕はたくさんアニメを見漁っていましたが、途中に見たこのアニメによって他のアニメは正直霞んでしまっていました。間違いなくここ最近でみたアニメで一番おもしろかったですね。物語も作画も全てが最高水準でした。そしてこのアニメの最大の特徴だと思うのが、見る人を夢中にさせてしまう、というところだと僕は思っています。
作画で凄いなと思ったところから書きましょうか。流石の京アニです。もう全体的に他のアニメと比べられないくらいの映像だと思います。楽器を演奏するという行為はそれ自体が魅力的な画になるのはもちろんのこと、画面からキャラクターの本気さ、必死さ、伝わってきますよね。アニメの中で本当に生きている。ただ生きているのではなく、ここまで強い生命力を感じる、というこれほどの映像を僕は他にパッと挙げられません。また、写実的な背景なんだけど創作物らしいところもあり、二次元の映像という幸せを体感できます。例えば夜の橋の上のシーンで、川に反射する光の量がとても多くて、川そのものがキラキラしているように描かれています。実際にはありえないんだけど、すごく綺麗です。こんな一見不思議な融合が細かいところに随所に見られます。そんな作中で僕が作画技術で一番凄いなと思ったシーンは実はとてもわかりずらい部分です。二期の六話で久美子と麻美子が会話するシーンで、久美子が手を握りしめるアングルがありますよね。そのときに、小指と薬指から力が入って、中指の方へと力が加わっていっているような描かれ方になっています。人間の手の構造上、ものを握ったり力を加える時には実は小指と薬指を中心にしています。実際にやってみていただけると分かると思います。これは僕が昔柔道をやっていた先生に教えてもらったことなので間違っていないはず。そんな人間の機構にまでこだわって描かれているんです。どんだけ細かいんだよ、こだわってるんだよと思いますよね。偶然かと思うかもしれませんが、僕が確認しているだけであともう一度、確か二期の最後の方でもこのような描かれ方をされているシーンがあったはずです。きっと僕がまだ気がついていないポイントやこだわりがまだまだたくさんあるはず。そんな気持ちにさせてくれる作画、ほんとすごいです。こんなに細かくこだわりをもって描かれているんだから、見せ場となるシーンなんて言葉で語れないくらい凄まじい熱量を持っていることが理解してもらえると思います。
物語に関しては原作を読んでいないので、どれくらいアニメに至るまでに改変されているのかわかりませんが、ラストまでの持っていき方は本当にすごい、面白いの言葉しかありません。とにかく食い入るように見てしまう。話に夢中になってしまう。そんな感じです。一期で部活がまとまっていく中でのオーデションと、久美子と麗奈の仲が親密になっていくところとか、二期のラストまでの運びとか。結局最後はあすかと久美子の物語なわけですから、可能な限り目一杯回収して最高の状態に物語を仕上げて、TV版のラストまで運んでいるのは本当に感動的です。特に二期のOPなどでもあすかと久美子の関係は強調されていますよね。
面白いシーン、ポイントはこんなふうに挙げていくとこちらもキリがありません。特に二期は毎回が神回ですから。全てを通して毎カット毎カット、絵も最高に可愛いし綺麗だし、気持ちが乗っています。作中全てに言えますが、気持ちが乗っている。作り手もキャラも。最高のクオリティに目一杯の気持ちを。そんなですから、まあ選べませんよね。なんですが、ここでも一つだけ、一瞬のシーンなんですが僕が一番鳥肌がたった瞬間、一番好きなシーンと言ってもいい部分を紹介したいと思います。最終回の中盤あたりに、久美子がユーフォを吹いて居るところに希美とみぞれがやってきて声をかけるシーンです。自然と涙がこぼれている久美子と、他の人が聞いても分かるくらいにあすかと重なっている音。もう感動と一緒に、ゾクゾクゾクゾクってなりました。本当に一瞬なんですが、このシーンが僕は一番好きです。見返しながら書いているんですが、もうあんまり他の言葉でどうこうという気にもなりませんでした。最後に続編と映画のことについて書いて終わりにしたいと思います。
映画に関しては、今あるものは「リズと青い鳥」を含めて全て見たんですが、二期の映画が特に凄いなと思いましたね。「リズと青い鳥」ももちろん期待以上でしたけど。TV版の総集編に当たる一期、二期の映画は、ところどころ改良されていたりカットが追加されているものですが、二期の映画はいきなり全開で出してきますからね。二期は大きく分けて前半の二年生周りの物語と、後半の久美子とあすかの物語に分けられるため、どうまとめるのかなと思いつつ見始めたのですが、開始二秒で納得できました。「響け!ユーフォニアム」はやはりこの二人の物語なんだな、と。細かい部分で久美子とあすかの関係をTV版より詳しく描く映像が追加されているので、是非みてほしいですね。二期は映画含めて完成形だと思っています。「リズと青い鳥」に関しては、僕よりもガッチガチのプロが大勢いると思うのと、気合入れてみないといけない関係で、まだ何度も見ていないので詳しい言及は控えます。ただ、見たことない人は「響け!ユーフォニアム」を見た上で、見るべきです。後悔しないと思います。「劇場版 響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~」はどうしても2時間程度のアニメで一年分をやっているので、TV版と比べると深みは劣るかなという気もしますが、なによりも続編があるということが重要で、幸せなことです。面白くないということはないですしね。僕は夏紀が大好きなんですが、映画ではTV版よりももっと出番が多いので、それも嬉しかったポイントですね。公開が決まっている最新作は、僕は詳細を調べていませんが、できたら最近流行りの6~7本立てにしてじっくりやってほしいなという気持ちがあります。とっても楽しみです。

終わりに

ここまで生き残っている人はどれくらいいますかね?(笑)気がつけば少しの期間で卒論以上の分量を書いていました。片手で数えるくらいの人でもここまで読んでくれた人がいたら、お金なんか関係なくやっぱりとても嬉しいです。基本的におんなじ言葉の繰り返しになってしまっていますし、文体とかも整えていないのでめちゃくちゃだったと思います。それにアニメに対して基本的に上からになってしまうので、生意気だったし不愉快に感じたとも思います。そんななか読んでくれた人がいたら本当にありがとうございました。自分の中でアニメや創作物に関するものを一回まとめておきたい、という気持ちはずっとあったので、そういったものとしても今回はとてもいい機会になりました。締め切りギリギリなのであまり多くのことは書けないんですが、書いていた僕もとても楽しく、いい暇つぶしになりました。感想とかあったら教えてください。もっとアニメを楽しんでいきたいですね。最後に、取り上げるか迷って、一歩足りなかったアニメを挙げて一言二言添えたものを下にまとめておこうと思ったのですが、ヘトヘトなのでやめました。ここまで読んでくれた方、ほんとうにありがとうございました。 
連絡先 https://twitter.com/neoerua @neoerua


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