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ジャスパー・ジョーンズへのインタビュー記事 考察編

自分の思う普通の懐中電灯が見つからなかったことで、当たり前とは何なのかをジャスパー・ジョーンズは考え始めました。普遍的・従来的であると自分が思い込んでいるもの、身の周りの目に留めるほどでもないようなこと、そういったものを新しい目で見直す事は、自分自身の歴史、そこから生まれた唯一無二である自分の心・思想を見つめることに繋がるのだと、ジョーンズは思ったのだと思います。何が自分を育てたか、何を見て何を感じそれは何から与えられたものなのか、そういった一つ一つがかけがえのない人生を歩む自分自身を作り上げているのだと。そして、それは自分にとってはいとも当たり前として、生活の中に溶け込んでいる。

それではジョーンズの言う「声明からの回避」とは、なんでしょうか。戦争反対!とか、自然を愛そう!とか、一人一人の一つ一つの思いは素晴らしいものですが、それを押し付けられた友だちの気持ちはどうでしょうか。ましてや赤の他人の 一(いち)アーティストに一方的に主張され、心に響くものでしょうか。違う歴史を持った他人同士が自分だけの当たり前を押し付けあって、わかりあうことなどできるのでしょうか。

ジョーンズは生活の中の当たり前を観察することで、自分でない人の気持ちは自分のものと同じくらい大事で、かけがえのないもので、尊重されるべきだと思い始めたのではないでしょうか。違ったものだとしても、同じように歴史を積み重ねた他人、同じようにその人の歴史が今のその人を作り上げたのだから。アート作品において、自分の声明を述べることで、せっかくそれを見てくれた人たちに対して自分のエゴを見せつけるだけのつまらないものに成り下がってしまう。無限であるべきアートの可能性を酷く狭めてしまう。

一(いち)アーティストとして 一(いち)赤の他人として精一杯できる事、それはとても小さなことです。それでも社会の中で役に立つことができれば、何か自分のできることに命を注ぎ込み励むことで、見も知らない誰かの生活に少しでも光をもたらす手助けができれば。そういった気持ちでジョーンズは作品を作ったのではないでしょうか。

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