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ジャスパー・ジョーンズへのインタビュー記事 その2

前回(その1)の続きです。

DSはインタビュアーのDavid Sylvester、JJはJasper Johnsです。(※訳者注のカッコ内は私の勝手な解釈なので、参考程度に思って頂いた方が良いと思います。)

I will attempt to do something which seems quite uncalled-for in the painting, so that the work won't proceed so logically from where it is, but will go somewhere else.

DS:あなたが望んだ懐中電灯は特別でなく理想的な懐中電灯であり、ある種の普遍的な懐中電灯だったというわけですね。

JJ: :そうです、実際に選択はとても個人的なものであり、自分の観察には全くもとづいていなかったのです。

DS:言うまでもなく、新しい動き(※訳者注:作品を見る人の心の動き)はキャンバス上にあるものによって決められるわけですが(※訳者注:芸術作品-この場合には絵画の作品-は概してそういうものである)、 他にどんな要素によって決定されるのですか。

JJ:キャンバス上に無いものによってです。

DS:しかし、キャンバスに乗り得るものとは非常にたくさんの可能性があるわけですが。(※訳者注:キャンバス上に無いもの、と行ったジョーンズに対し、キャンバスに乗らないものなどないのでは?といった質問)

JJ:そうですね。しかし人間は考えるプロセスにおいて(意図的であろうがなかろうが)多くの可能性を排除してもいます。そして、見るというプロセスにおいても多くの可能性を排除します。なぜなら、時々により私たちは何かを見るときに見るものだけを見ているものであり(※訳者注:見たいものだけを見る選択をしている)、次の瞬間にはもう違うように見えることもあるからです。ですから、すべての可能性を見ることのできる人などいないのです。そして、進歩するたびに進歩し、何かするたびに何か違うことをするのです。

DS:しかし、あなたがキャンバスに描くものは自動的に出てきたものではないでしょう(※訳者注:何か意図があってそのモチーフを選んでいるのでしょう、といった質問)

JJ:どうやって、キャンバス上に乗ったんでしょうね。

DS:それを私は知りたいわけです。あなたはキャンバス上に描く様々な方法(の選択)に対し、意識していますか。

JJ:そういう時もあります。絵画から得た指向のアイデア(※訳者注:自分の作品だけではなく芸術作品すべてから得た、という意味だと思います)を意図的に使うこともあります。そして時には私自身の最大の関心事を変えるために使います。純粋な学術的な意味において、私の関心事を違うものに変えるよう強制するためや、弱めるために。そしてまた、時には絵に(芸術に)求められていないことをしようともします。そうすることで、(芸術の)あるべき場所へと論理的には進まないようにするのです。そして全然違う場所へと着地するわけです。ある時点で、キャンバス上に描かれた構成は、ある種の形成、ある種の学術的なアイデア、そしてまたある種の感情的なアイデア等々を提示することもあるでしょう。そして人はその時に2つの事をしようとするかもしれません。(新しいアイデアを)強化するために、進歩するように強固できるすべてのことをやるために、または(新しいアイデアと)決別するために、状況的に求められない要素を持ち込むことによって。そして、さらなる複雑さの方へと進んでいくのです。

その3へつづく… 

-References-
-引用元-

Harrison, Charles. Wood, Paul.(2003). Jasper Johns (b. 1930) Interview with David Sylvester. Art in theory, 1900-2000:an anthology of changing ideas. 2nd ed. Blackwell Publishing, pp.738-739

Johns, Jasper.(1959).Alphabet. The Art Institute of Chicago