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2.「母」という人

0.幸せ、探していました

1.私に“本物の意識変革”が起こった日


私は35年以上、母を素晴らしい人間だと思っていた。

それこそマリア様のごとき存在・・・とまではいかないが、それに近いくらいに思っていた。

だから棚卸をした結果、私のあらゆる不快感情の全てが母を指し示していた時(「1.私に“本物の意識変革”が起こった日」参照 )

驚愕した。そんなはずはないと。


それまで母を「母」という役割から離して考えたことはなかった。

私の中の「母」とは

・子どもに無条件の愛情を注ぐ存在。

・子どものために必死に頑張る存在。

・子どもの存在を無条件で認めてくれる存在。

・優しく、包容力のある存在。

・いつも笑顔を向けてくれる存在。

・困ったり悩んだときは寄り添って励まして一緒に頑張ってくれる存在

そういうものだと思っていた。


こうやって書き連ねると何だか可笑しくなってくる。

かなりドラマやフィクションの影響を受けているような気がするから。

全部理想の母親像。馬鹿馬鹿しい。

理想は理想でしかない。


最近分かったのだが、

パートナーや友人と話していると

私の母親はかなり変わっているらしいという事が判明した。

「私の母は〇〇だったよ」というと、

大抵、みんな「大変だったんだね」と言う。

以前はなぜ同情されるのか分からなかったが、今ならわかる。


実際の私の母はどんな人か書いておこう。

・背は小さい。ちょっとぽっちゃり系

・主婦をしたのち、医療事務を経て介護職に

・6人兄弟の末っ子

・病気の祖父母を引き取って介護をした

・近所の人や職場の人と仲が良い

・父とは見合い結婚

・子供の教育に熱心

・信心深い(ある教会に30年近く通っている)

・文句が多い

・愛想がいい


母は他家に嫁入ったにもかかわらず、父を説得し病気の祖父母を引き取り介護していた。

病気と言っても祖父は末期癌で車いす暮らし、

祖母は心臓病など諸々抱えて失明しており、重病人である。

私が4歳の頃から祖父母との同居が始まり、

母が1人で介護していたので、それはすごいことだと思っていた。

今でもそれは大変なことだと思う。

繰り返すが、それもあって私は母を素晴らしい人だと思って35年以上生きてきた。


感情の棚卸で(1.私に“本物の意識変革”が起こった日参照)

そんな素晴らしい母を

困らせたり、怒らせたり絶対してはいけないと強く念じて生きてきたことが分かった。

それは強迫観念と言ってもいいくらいのそれはそれは強烈な刷り込み。

一体いつからだろう?

物心ついた頃はそのような子どもに出来上がっていた。

つづく



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