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4.自分軸で生きるということ

2年前、自分の心の棚卸をしていて

突如現れたパンドラの箱。


パンドラの箱の中にあったのは、

私が封印した感情たちだった。


なぜ封印したのか。

それは諦めるしかなかったからだ。

欲しい欲しいと思っていても、

もう手に入らないとはっきり分かり、

これ以上欲しがることは絶望しながら生きていくことだ、と生存本能が教えてくれたのだと思う。

諦めないと私は生きていくことが出来ないと本能的に分かったのだ。

16歳の決死の覚悟だった。

自己肯定感を手に入れるために始めた心の棚卸は

結果的に子ども時代に別の角度から光を当てることになった。

子ども時代に別の角度から光を当てたら

私がいた状況というのが「無視」というものだと分かった。

私は幼いころから家族から無視されていた。


多分、私の父も母も姉も、無視なんかしていないと否定するはずだ。

確かにご飯を食べさせてもらった、大学まで出してもらった、予備校にも行かせてもらった。

でも無視されていたのである。

どういうことかというと、

取るに足らない存在として扱われていた。

私の発言はいつも誰も耳を貸さなかった。

たとえば、夕飯の食卓で、今日あったことを聞いて欲しいと思い横に座る母に話すのだが、

母は全く耳を貸さなかった。

不思議だが、私の話には耳を貸さない。

母の目は常に介護が必要な祖父母にそそがれていたのだが、

姉の話には嬉々として耳を傾け大笑いする。

うん、まあ、姉の話は確かに面白かったけれど。

次第に私は作り話をするようになった。

それでも母は振り向かなかった。作り話を分かっていたのか呆れたように耳を傾けなかった。


一つだけ、母が私に関心を持ったことがある。

それは成績のことだ。

100点、もしくはそれに近い点数を取ると非常に喜んだ。

この時だけは無条件で「えらい!さすが私の子」と言われた。

しかしこの逆になると恐ろしい制裁が待っていた。

母の制裁は平手打ちである。

容赦ない何往復もするビンタ。

痛かったからテストが悪かったら必死で隠した。

しかし母は容赦ない。

子どものプライバシーなんてないと言って、いつも学校にいる間に机の引き出しは断りなく開けられ、漁られたから悪いテストはあっけなく見つけられた。

「叩く方もつらいのよ!」とよく言っていたなあ。

数年前、よく子どもの頃叩いたよね、と私が言うと

母は「私はそんなに叩いていないわ!」と全力で否定していたが。

大人って、都合の悪いことはみんな忘れていくんだな。腹立つわ。


小学生の頃、いつも使う道が工事で通れなくなっていたので

「こっちの道からだったら行けるよ」と教えても耳を貸さず道に迷う母。

使えない奴と思われていたのだろうか?


親に無視されるとどうなるのか、私は身を以て知った。

いちばん身近な存在である親に無視され続けると、

自分の考えに自信が持てなくなる

自分で自分のことが決められなくなっていく。

常にだれかの顔色を窺い、誰かの了解をもらわないと不安でたまらない人間になる

最近、洋服とか人に選んでもらうパーソナルスタイリストなる商売が増えているが、

大人になっても自分で自分の服を決められないとか、この一種なんじゃないだろうか。

日本の女子のファッションはみんな同じだ。

自分が着たい服を自信をもってバーンと着ちゃう。

そんな勇気はないらしい。

誰かに「その服素敵ね」と言われないと落ち着かない、不安になる。

だから必死でお互いに褒め合い、陰で悪口…(笑)

自分の考えにいつまでたっても自信が持てない。

それは自分軸が育っていないということ。

それではいつまでも幸せや満足を感じることが出来ないだろう。

分かるはずがない他人の軸、他人の価値観で生きているのだから。

私は心の棚卸で、自分を主義主張がはっきりしている人間だと思っていたが、ずっとバリバリ他人軸で生きていたと知った。

ああ、なんてこと!

本当の自分と久々に出会ったような感じだった。

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