自分の後回し癖について

 こんにちは、ネオ香川です。

 表題の通り、自分の後回し癖について書いてみて、いろいろ考えてみたいと思います。何が恐ろしいかって、この作業自体が後回しの産物であるということです。


 私、大学院生でございまして、博士前期課程2年生ですのでもうさっさと修士論文を書きまくっていなければならない状況です。しかし、お察しの通り全く進んでおりません。何故こうなっているのか、それは実に単純な話、後回し癖が全力で働いているからです。

 昔からなんとなく自覚しておりました。やりたくないことを後に後に回して寄せて。気付けば〆切間近。恐ろしいのなんの。「〇日まではやるだろうから大丈夫だろう」と高を括ってのんびりしているといつの間に。時間に意識が置いて行かれた気分になります。

 こういう立場でありますので、やらなければならないことが次々に押し寄せてきます。自分で望んで臨んだ道であるにも関わらずこの体たらく。最近はただただ平穏な日々を望んでしまっています。

 さて、先程述べましたのんびりしている間にタイムリープしていた現象についてですが、沢山やるべきことがあって頭の中で「あれしなきゃ」「これしなきゃ」が右往左往しています。それを落ち着かせる為にやるべきことの中でも比較的簡単であり短い時間に終わらせることができるものをまず終わらせていっています。のんびりと。

 例えば家事ですね。洗濯物や食器洗い、掃除機なんかもかけちゃったり。部屋の清潔さで私の精神的な状況がわかる、と自負しているのですが、逆に部屋がどんどん綺麗になる現象も起きます。

 これだけだと素晴らしいことにも思えますが、すぐに満足してしまい休憩してしまいます。「取り敢えずやらなければならないことは減った」という達成感だけを味わって満足しているのです。きっと。

 もう少し頑張れる日は、簡単なタスクを少しずつ片付けていきます。ここで重要なことなのですが、まず自分のデスクにつくことが非常に大きな壁なのです。これが出来ればわりとサクサクとタスクをこなすことが出来るのですが、ようはこれが出来ないということです。

 簡単なタスクというと講義の課題やメールの返信(これは本来、最速でやらなければならないのですが…)、論文の整理などです。簡単とは言え、そこそこ時間のかかるものばかりです。ため込むからという原因もありますが、そもそも後回し癖の沼にどっぷり浸かっておりますゆえ、「頭ではわかっているけども」ってやつです。

 さて、ここまで終えると発生する最も恐ろしい(自分でも理解不能な)現象についてです。それは「絶対に今やるべきことではないタスクに意識が向いてしまい、やるべきことそっちのけで1日を終える」という現象です。末恐ろしいこの現象の産物が本記事となっております。今、私はここに書きながらまったくもってよくわからないなぁと思いながら書きなぐっております。

 このような沼に浸かりながら日々を過ごしていることによっていつの間にか沼は口元を過ぎ、既に鼻の下まで沈んでいるようです。虫の息です。

 解決策は簡単です。さっさとやるべきことを終わらせることです。しかしなかなか簡単に終わらないタスクを終わらせる気になりません。なんなら鼻の下まで沈んでしまったせいか「今更やっても間に合わなくね?」とか考えてしまい、いよいよ目も当てられません。


自分で書いててなんだか辛くなってきました。情けないというか。


 とて、そんなもんなんだと思います。やる気がない、根性がない、不真面目、怠惰。まさにこれが自分なのだと実感しております。この自覚が、最近は心地の良い逃げ場になってしまっていますが、それもそれでそんなもんなんでしょう。

 「逃げたい」と「逃げたくない」の狭間の居心地は最悪です。本心はどちらなのか、建前はどちらなのか。どちらであっても認めたくないことは事実として感じます。ただ、今逃げてしまうのは非常に恐ろしいことのように感じてなりません。

 「逃げて良いんだよ」という言葉を最近至る場面で見かけたり、耳にしたりします。私も少し前に言われたような気がします。けれど、この言葉は少し怖いです。読者皆様はどう思われますか?

 逃げた先、私はどうすればよい?この問いにはなかなか答えられません。「人生は長い」この言葉が止めの一撃として私に投げつけられました。そうなんです、私たちの人生は長いんです。ここでの失敗や成功、勝利や逃走、感動も思い出も全て人生という長い棒グラフで見ると、微々たる抑揚に過ぎないのです。だから人は容易に「逃げて良いんだよ」と言うことが出来ます。

 しかし、忘れてはならないのは私たちは常に「今」を生きているということです。私たちの社会では「過去」を見て「未来」を考えて「今」を生きています。過去の決定が未来を決める、という感覚で時間を受け入れています。そんな人々が逃げられるのでしょうか。というか、

私たちは“何から逃れようとしているのでしょうか”


 取り留めのない記事になってしまいました。きっとこれからもこのような記事ばかりになりそうです。なんとなく「良いな」って思ってくれる方に読んで頂けたら幸いです。

 では、やるべきことをしてこようと思います。「絶対に今やるべきことではないタスク」に今日は満足しました。

 最後まで目を通していただき、誠にありがとうございました。

 またいずれ。

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