本と私

昔からよく本を読んでいる。
漫画本から始まり、ゲームの攻略本、小説。
今では小難しい学術的な本にも手をつけている。
この流れは単純に興味関心の変遷と言ってよいだろう。

小説は、私では体験できそうもない人生を仮想的に体験することができるように感じており、没頭することで現実から逃避させてくれた。
今でも読みたい小説は山のようにある。
全て読みたいが、そうもいかない。

学術的な本については、大学に入って3年目頃から読みだした。
偶然履修した教員の講義に感銘を受け、学術に関心を持つようになった。
しかし厨二病の抜けないまま年を重ねてしまったため、講義とは関係なく、あくまでも哲学的な本に手を出すこととなった。

それからほどなくして、「社会」というキーワードに出会うこととなった。
本記事で詳細は省くが、社会学関連の議論に衝撃を受け、次第にのめり込んでいった。

社会、私の中では「環境」という言葉でイメージしており、環境により自己はある程度形成(あるいは変形)されると考えている。
結果、「私」は何であるのかという問いに辿り着いた。
またしてもだが、ここでは深掘りせず進める。


現在、私は「私」が改めてよくわからなくなっている。
当時の私は、確固たる「私」を持っていたように感じる。
そう感じるだけであるとは思うが、とにかく私から何かが抜け落ちてしまったように感じる。

これまで、このような感覚に対して探求すべく、学術的な本を読み、そのヒントとなるものを見つけ、熟考し、自分なりの答えを見つけてきた。
勿論、幼稚ではあったが、私なりの答えがあることの安定性は存在していた。

今は、それがない。
私は、問いを言語化することができていない。
無理やり「これではないか」「ここで悩んでいるのではないか」とひねり出してみたものの、いずれもしっくりこない。
これまで私が手にした本たちは、心に鋭利な回答を与えてくれた。
今はそこに辿り着けず、どれもただ知識としての吸収しかなされない。

「私」は、何がしたいのだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?