ファーストキャリアについて

2024/05/23
ファーストキャリアについて、自分の考えをきちんと言語化していなかったと思い、一度きちんと言語化してみようと思った。

ファーストキャリアに求めるものは何だろうか。
転職が格段にしやすくなった現代、そしてどんな道でも選択肢が数多く残されている現代において、ファーストキャリアの価値はそれほど高くないと考えている。
単純な話を考えてみる。
ファーストキャリア、例えば大学4年で卒業して就職する場合、22歳で就職することになる。しかし大学院に行っている人間はその2年後に就職することになる。ならば、22歳で就職したところで、24歳の頃にやり直す機会があると考えるのも自然ではないだろうか。それも大学院では学べない「社会」を学んだ人間として。
大学院に行き、新卒として入る人間と、就職してから中途で入る人間。先に述べたような現代において、そこに大きな差はないだろう。
さらに突き詰めて考えれば、世の中には浪人と言う社会にある程度受け入れられた概念がある。大学入学において1年、その中でもう1年浪人したところで、それほど大きな評価点のマイナスにはならないのではないだろうか。そう考えると、26歳までは新卒のような扱いでどこの会社にも入ることができる。
まあ極端な話で、どこの会社でもそうであるとは言えないが、単純に考えたときにそうなんじゃないかと思う。
皆、ファーストキャリアと言うものを特別視しすぎているのではないだろうか。
はっきり言おう。正直、私は人生はある程度どうとでもなると思っている。
例えばの話だ。私が今トマト農家になったとしよう。(なぜなら私が一番好きな野菜がトマトだからだ。)5年ぐらいトマト農家として働いたのち、なんだか心の底から経営コンサルティングをしたくなってきたとして、私は経営コンサル会社に入ることができるだろうか。
私はできると思っている。
ここで言いたいのは、別に私が自信過剰であるということではなく、世の中様々な選択肢・道があるということだ。それこそ十人十色に。
元トマト農家の経営コンサルタントなんかすごく面白そうな人間じゃないか。
初めがどんな道であろうと、後からいくらでも修正ができる。社会に出たこともない人間に、「一つの道を決めろ」と言うのも本当に変な話だと思う。だから別に不安に思うことはないということだ。

では、ファーストキャリアに求めるものは何だろうか。
よく「就活に正解はない」という言葉を耳にする。まあそれはそうなのだろう。決まった答えがなく、ひとそれぞれ「正解」が違うということなのだと思うから。
だけど、あえて言いたい。正解はある。
そして、それは「不正解ではない」もの全てだと思う。
さっきも言ったが、社会に出たこともない、きちんと働いたこともない(バイトは除く)人間に、正解か不正解かなんてわかるわけがない。
正直仕事の楽しさ、面白さ、やりがいなんてものは、働いてみないとわからないものだと思うから。
僕の友達の父という、少し精神的距離感が遠い人とキャリアについて話したとき、同じようなことを言っていた。
その人は大手電機メーカーに新卒で就職して今も同じ場所で働いている人だけれども、入社時は大手と言うだけで入ったが、働いてみたら面白かったという。また3年前ほどに急に医療機器担当になったが、これも関わってみたら意外と面白かったという。
本当にその仕事が自分にとって面白いかどうかなんて、働かないとわからないだろう。
では「正解」とは何か。
それは「不正解ではないもの」だと思うのだ。
「苦痛に感じないもの」と言い換えてもよい。
今までの経験で、「面倒に感じなかったもの」は一つぐらいあるだろう。まあ覚えていない場合の方が多いとは思う。なぜならそれが自分にとっては自然なことだから。周りと比べてみて初めて気づくものだから。
「薫る花は凛と咲く」という漫画(マガポケで連載している)を知らない人の方が多いとは思うが、そこでもキャリアについて悩む学生が先生に聞くシーンがある。そしたら先生が先生になった理由を話すのだが、その答えは「人に何かを教えることが、苦ではなかったから」というものだった。
結局そこに自分が面白いと感じる部分が隠れているのだと思う。
今は面白いと感じる必要はない。それほど苦痛に感じないと思っていればよいのだ。
だから自分が「その仕事をしていて、それほど苦痛に感じないだろうな」と思う職種、もしくは作業を考えてみるのが良い。
「絵を描くこと」「数字をいじること」「誰かと話すこと」
それは本当に人それぞれだろう。
自分の強みから考える、と言うのも、まあ似たようなものだと思う。強みと楽しさは別だが、強みだと思えるぐらいにはそのことに苦痛を感じていないということだから。まあただ自分の強みがわかんないよ、というケースが多いと思うので、ここではあまり深堀することはなく進もうと思う。
逆に実際に働いて見て、不正解だったら転職すればいい。それが容易になってきた世の中なのだから。

それなら、ファーストキャリアに求めるものは何だろうか。
よく将来のビジョンについて聞かれる。将来のビジョンは必要だろうか。
正直必要だ。ただ将来変わるだろうということは念頭に置いておく必要がある。
絶対に変わると、僕は思っている。
なぜなら働くという新しい経験をするからだ。
幼稚園や小学校の頃、私の夢は「サッカー選手」だった。
それから現実・周りの人間と関わるという経験を経て、その夢は変わった。
それと同じようなことが起きるはずだ。
「働く」と言うことを少し神聖視しすぎている自分がいる気がするが、まあただの書きなぐりなので、許してほしい。
確かに何かの夢に向かってずっと突き進んでいる人間は、直視できないぐらいにまぶしい。そういう方は、そのまま突き進んでいただきたい。本当に心から思う。ただ僕みたいな特別想いの強いものがなければ、変わることを念頭に置いておくべきだろう。
ただ今の自分において、将来のビジョンは何となく持っておいた方が良いのは事実だと思う。
いや「ビジョン」と言うと、少し堅苦しいので、「目指すブランドイメージ」と言っておこう。(より堅苦しくなったかもしれない)
「ビジョン」というと、「○○になりたい」「○○という会社に入りたい」という具体的な名前のあるようなもののように思える部分がある(少なくとも僕は少しそう感じる)。ただ、名前・肩書なんてどうでもよいではないか。今名前のある職業、今名前のある会社なんてなんの価値もない。所詮名前なんて、世界を区切る術の一つに過ぎないのだから(ラベリングなのか、世界を分けるものなのか、なんて議論をするつもりは毛頭ない)。将来自分がなった姿に、もし社会的に名前がついてなかったのなら、自分でつければいいのだから。「たまたま」すでに名前のあるものになったのなら、その名前を使えばいいだけなのだから。
考えるべきは、自分をブランディングするのなら、どういう人間にブランディングするのかだ。まあ要するに5年後どのようなことをしている人間か、どのように周囲から認められている人間か、ということを考えるべきだ。「英語の先生になりたい」ではなく、「多くの子どもたちに英語を教えている人間」と考えるべきだ。別に仕事と直接関係させなくてもよい。「(周りから見て)かっこいい人間」とかでも、解像度を上げていけば、それは立派な指針になる。「かっこいい人間」とはどういう人間か。大企業に勤めている?スーツをビシッと着ている(最近はスーツ着用の会社は少ない)?銀座で商談している?まあ正直こんな感じの緩さで考えてみてもよいと思う。どうせ変わるのだから、それほど凝らなくてもよい気がするが、より詳細に作りたいのなら「苦しかったときの話をしようか」(森岡毅著)を参考にしてみてほしい。というか、僕のキャリア観はこれを読んで、僕の中で成熟したものな気がしている。キャリアに悩む人間は一度読んでみてほしい。
自分のブランディングを考えられたら、それが実現できる会社を探せばいい(そこが難しいのかもしれないけど)。緩いブランディングでも構わないが、不正解ではないことだけは注意するべきだ。そして面接時には、それを話せば通過確率は大きくなるはずだ。僕自身が実際にそうだった。

さて、ファーストキャリアに求めるものは何だろうか。
そんなもの人それぞれだ。
どんな道に進もうと、そのあとに軌道修正できる世の中だ。働いてみないとわからないことは意外と多い。だから不正解だけ避ければ、それはその人にとって「正解」なんじゃないかと思う。
だからあえて明確な答えを出すのなら、結局「不正解でないこと」なのだと思う。

じゃあ私はどうなのか。最後にどうでもいい私自身について言語化して終わろうと思う。
私が求めたもの。それは規模の大きさだ。かつ初年度から営業に駆り出される恐れのない会社。
後者はまさしく私の不正解の部分だ。別に営業したことがあるわけではない。なのでやってみれば意外とできるかもしれない。でも多分今の私にとって営業は苦痛だと思う。そもそも会話が苦手だ。頭の回転が速いほうではないし、気の利いたことなど言えた試しもない。どんな人かにもよるかもだけど、目的無く人と話すこと、関わることは割と僕の中では苦痛だった。だからいつかはどの会社でもやらなきゃいけないことだということはわかっているけれど、初めは少し遠ざけたかった。
それで前者は何かと言うと、規模の大きな会社はその分ノウハウ、ナレッジ、多様性がすこぶる豊富だから、それを20代初めは使い倒してやろうと思ったわけだ。使い倒せるものをたくさん持っている会社、と言う意味で規模の大きさは僕の中ではほしいものだった。あと、「大企業から中小は容易だが、中小から大企業は難しいかもよ」という父の言葉があったからと言うのもある。(これについては審議は怪しい気がするが。)
僕自身のブランディングとしても整合的だった(実際に言語化するのはここが初めてなので、なんとなく僕の中でくすぶっていたものと整合的と言う話だが)。僕の最終的なブランディングとしては、「世界で日の目を浴びていないアイデアに日の目を当てる人間」であり、「広く世界を見ている人間」であり、「人間の想像力を限りなく信じている人間」であった(今パッと思いついたものを書いただけで、森岡毅の話を全く参考にしていないことを記しておきたい。きちんとしたブランディングはここには書かないでおきたい)。そのためには幅広い知見・いろんな人間とのコネクション・自分の世界を広げるための多様性・マーケティングなどの専門知識・英語を実務で使う機会など(MECEじゃないな)(つまるところ「何か一つに絞りたくない」「視野を広く持っていたい」ということ)が必要だった。
以上から「**」と言うのは割と都合がよかった。それだけだ。

これは誰かに向けたもの、誰かに読ませるために書いているわけではない。
誰かに共感してほしいとも思っていない。
異論も反論も認める。
これはただの自己満足にすぎない。
自分が考えを整理するためのメモ帳だ。
そのことは留意してほしい。

以上。

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