オレの楽園はまだまだ遠い #02

楽園(らくえん、英: Paradise)とは肯定的で調和的で永遠である土地を表す宗教上、または形而上学的な用語である。これは人類の文明に措定されている不幸に対立する概念であり、楽園においては平和と繁栄、幸福のみが存在するとされる。楽園は充足した場所であるが、豪奢であったり無為であったりする必然性はない。楽園はしばしば「高きところ」、最も神聖な場所とされ、現世や地獄のような冥界と対比される。

「楽園」Wikipediaより引用


由来はさておき、僕らが拠点に置くこの地には“楽園”なる名前が付いている。その名をタイトルに冠する以上、この番組も楽園からの通信たるものでなくてはならない。ええ、なくてはならんのです。そんな使命感に駆られているわりに、楽園がどんな場所なのか僕はよく知らずにいる。

冒頭に集合知の権化ことウィキペディアの引用を持ってきたのもそういうわけである。曰く、楽園とは「平和と繁栄、幸福のみが存在する」場所なのだと。なんとなく天国に近いものなのだろうか、僕の知る限りでは、そんなのはこの世のどこにもなさそうだ。地域や時代で濃淡はあれど押し並べて世界は、喜びや祝福だけじゃなく苦しみや困難なども放り込まれた善悪のごった煮でできている。
だが、その後に続く説明には幾許か思い当たるものがある。「楽園は充足した場所であるが、豪奢であったり無為であったりする必然性はない」という一節だ。

思い出とは別にしてやけに鮮明に心に残る瞬間を、誰しもいくつか持っていると思う。僕の場合それは例えば、幼少期にショッピングモールで見知らぬおじさんに叱られた出来事だったり、花火大会の余韻が残る湖のほとりに座り込んで二人して話し込んだ日の手のひらに伝わる砂の感触だったり、昔過ごした街の海を数年ぶりに眺めた時に聴いた汽笛の音だったりする。そうした些末な記憶を、この先も不意に思い出したりするのだろう。きっと死ぬその時まで忘れ得ないこれらの断片的な光景が、やがて走馬灯になるんじゃないかと思っている。その出来損ないのドキュメンタリーはたぶん、豪奢とも無為ともつかない平凡なものだ。でも、不思議と充足感を与えてくれる気もしていて、そこには(平和と繁栄はさておき)少なくとも幸福だけは存在していそうな予感がある。

このラジオは僕にとって、或いは聴いている誰かにとっての走馬灯になり得るだろうか?きっと走馬灯の尺も限られていることだろうから、なかなか難しいかもしれないな。エンドロールにでもこの番組のサイケなジングルを流してくれたら、それはそれで結構センスのいい走馬灯になる気もするんだけど。

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