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飼い犬を見送ったあと、独立したという話

1月以来。本当に久しぶりの更新になってしまいました。。。(年初めにがんばるって書いたのに。笑)

その間、Xの更新もほとんどしておらず、発信そのものがほぼなかった状態にもかかわらず、たくさんの皆さまに記事をご購入いただきました。
これは、私も予想していなかったことで、本当に嬉しいことでした。
この場をお借りして、お礼申し上げます。ありがとうございます。

ちなみにこれも予想外でしたが、300円のナレーションサンプルより、圧倒的に500円のTIPS記事が多いのも驚きました。ライターとしての経験が少しでもお役に立てていれば、noteを始めて本当によかったと思えます。

ここからは、タイトルのお話。

更新が滞っていた理由を少し書いておきます。ご興味ある方は、よかったら以下もお読みいただければ嬉しいです。

40代に入る直前、私は友人のところに生まれた子犬を引き取りました。
当時自分の口を養うのがやっとだった私は、動物を飼うことなどないと思っていたのですが、母犬から生まれ落ちる瞬間に立ち会ってしまい、そのかわいらしさにメロメロになってしまいました。

犬というのは本当に優しく従順で、察することができる生き物です。一人暮らしなので留守番が多く、さみしい思いもさせたはずですが、彼女はいつの日も、私に寄り添い続けてくれました。

そして、彼女をかわいいと思えば思うほどこわくなるのが、彼女を見送る日でした。ことしはそんな時間を迎えることになった年でした。

13歳半。中型犬としてはちょっと早いかなと思えるのですが、4月に彼女は静かに息を引き取りました。その経緯については、気が向けばまた別記事に書こうと思います。

さて。私の現在のメインのお仕事は、葬儀司会者。

ほぼ毎日、「人の死」に接して仕事をさせていただいています。たぶん、葬儀業界以外の方々より、圧倒的に「生き物は必ず死ぬ」ということに免疫があるわけです。

が、まだ両親も健在で、最後に出席した身内の葬儀は30年ほど前の祖父のとき。犬とはいえ、今回、本当に久しぶりに、とても身近な存在の死に直面したのでした。

彼女は私に、生まれる瞬間を見せてくれ、ほんの短い時間子育てのような経験をさせてくれ、長い間一番近くで寄り添ってくれ、そしてことしに入ってからは、介護の経験をさせてくれ、弱る姿を見せてくれ、最後のひと呼吸を看取らせてくれ、お骨を拾わせてくれました。

人から見れば猛スピードで駆け抜け、命とはどんなものか、生きること、死ぬこと を、自分の身体を使い、私に、愛しいものとの出会いと別れを叩き込んでくれました。

これから先、仕事でも、そう遠くない未来に訪れるはずの、両親との別れのときも、この彼女との時間や経験は、生きてぬくもりが合ったころと同様に、私に優しく寄り添ってくれると思います。

そして、彼女の介護の日々と同時進行していたのが、独立の話。
まだ、葬儀司会者としては1年ほど。経験は浅いですが

・マイクを持つ仕事の経験があり、発声の訓練を受けていること
・葬儀アシスタントの経験があること
・ライターとしての経験から、取材しナレーションが書けること

などの経緯があり、わりとスムーズに仕事を覚えることができたため、ライターとしての活動同様、司会者としても、育てていただいた会社の専属から、完全にフリーで活動できる体制が整いました。

交渉事もありますので、ゆっくり慎重に進めていた話だったのですが、まぁ犬とはどこまで察する生き物なのだろうかと思うほど、私が忙しくなる前に、介護の手を放してくれたことにも驚きました。偶然とも思えないタイミングでした。

というわけで、ちょっと心身ともに落ち着かない日々だった2024年の前半戦を過ごしておりました。

まだまだ、彼女がいないことに涙はこぼれ落ちるのですが、私のお骨と一緒にしてもらうよう頼めるところがあることで、ちょっと安心してる自分がいます。

つくづく、葬儀やお墓というのは、見送る側のためにあるものだと実感しました。それがきちんと頭で理解できたこともまた、私の中で大きな出来事だったかもしれません。

万灯会

お盆前からまったく休めなかったのですが、我が家も初盆を迎え、ゆうべは仲良しのお寺へ。優しく香るキャンドルをそなえて、手を合わせてきました。

一連の流れは落ち着いたものの、相変わらず現場優先なので、これからもかなりマイペースになるとは思いますが、こちらの更新もがんばりたいと思っています。

今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。


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