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怒るということ

怒るということ、について考える機会がありました。

ある日メールが届いたのです。
とある有名ファッション通販サイトから。
「稔野(ねんの)」様宛の。(当然仮名ですよ)
わたしはねんねなので似てますが、心当たりはありません。
見るとアドレスがよく似ています。
わたしのアドレスには真ん中に「.」がありますが、
稔野さんのアドレスには「.」がありません。
Gmailの場合は、ピリオドの有無というのは
取得しているアドレスの文字列に関係ありません。
つまり、「nenne.works@gmail」も、
「nenneworks@gmail」もどっちもわたしのアドレスなのです。

これは稔野さん、アドレス登録間違えたんだな。
住所や電話番号も記載された商品発送メールまで私宛に届いています。
これは大変と思い、某通販サイト宛に連絡したんです。
アドレス間違えて登録されてますよ、って。

そしたら、一日以上経って返信が来ました。
要約するとこうです。
「稔野さんのアドレスに間違いはないですよ。
Gmailではアドレスがすごーく似てる人のところへは
間違ってメールが飛んでいっちゃう仕様なんですよ。
だからメールが届かないようにするにはあなたがアドレス変更をしてくださいね」
これほど当たり前にデジタルが普及しているご時世に、
Gmailのセキュリティをこんなに疑う案内をされるとは思わず、
目が点になるとはこのこと。
しかも、ここにこうやって書いてあるでしょ、と
GoogleのURLをつけてくれました。
まさかと思って読んでみると、
それはGmailアドレスでのピリオドの取り扱いについての記載でした。
ちゃんと読むと、ピリオドの有無や位置の違いで、
他人のメールが見知らぬ人に送られることはないんですよ、
という内容でした。
どうしてよく読みもせずこのURLを送ってきたんだろう。
こんなに大きな企業なのに、どうしてそんな勘違いをするんだろう。
そしてどうしてこちらがアドレス変更を求められたんだろう。

その後何度かメールのやり取りをしましたが、
結果的にアドレスの変更をしてもらえることはなく。
誤情報を送られてきたことへの謝罪なんかも当然ありませんでした。

やりとりしてきたこの時間は一旦なんだったの…?
再び届き続ける通販のメルマガを見て、
私には疲れと憤りが募るばかりで。
珍しく顔も知らない人への、怒りの感情が湧いたのでした。

そもそもそんなに簡単にメールが混線するはずないんだ。
そんなセキュリティーだったら誰もGmailなんて使わないんだ。
顔も知らない稔野さんは
今後も赤の他人の私に個人情報を配信され続けるんだ。
私だったらお客さんにちゃんと言う。アドレスも変更してもらう。
私だったらわかる。私だったら。

私だったら?とふと思考が立ち止まります。
他人に対して言うには、とても傲慢な響きがして好きじゃない言葉。
私だったら、じゃない。
私じゃない。
通販サイトのコンシェルジュは私ではないんです。
「私だったら」という考えが、怒りを無駄に助長させてるのかもしれない。
何度言っても密で洗濯物を干す旦那にも(臭くなるでしょっ)、
お会計の時にぽいとカードリーダーを投げた忙しそうな店員さんにも、
無理やり体験教室の予約を入れようとする勧誘のお姉さんにも。
「私だったら」こうはしない。
なんてこと思うけど、そもそも私じゃないんだから仕方ない。
それは傲慢というもの。あーやだやだ。
そう思うと、すっと怒りが引いたのでした。

私じゃないから、知らなくてもしょうがない。
私じゃないから、できないこともある。
私の当たり前は、その人の当たり前ではない。
その人の当たり前は、私の当たり前ではないように。

ふぅー、平常心平常心。
当たり前の、なんてこともないこと。
アドレス情報削除してください、と再度お願いのメールを送りました。
一筋縄ではいかない他人と、当たり前の押し付け合いをしないように。


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