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「夫婦円満のコツ」的な説法が苦手です

こんばんは。深夜です。

ここ数年で「夫婦が理解しあうには」「夫婦円満を続けるには」みたいな文章をよく目にするようになったなぁと思うのですが、個人的にこの類の話がとても苦手です。

円満に越したことはないんだろうけど、そもそも円満の定義が千差万別なわけで、なにをもって円満とするかは個人の自由なのです。放っておいておくれよそんなもの、と。

十分に理解し合うことが「円満」なのか?お互いよく話し合い価値観を認め合うことが「あるべき夫婦の姿」?みんなよ、求めてる相互理解レベルが高すぎやしないか?

そんな相互理解100%の境地にたどり着ける夫婦って、実際そんなに多くないんじゃないかなと思うのです。いるにはいるけど多くはない。夫婦といえども一番近い他人です。もうすこし、理解のハードル下げてもいいんじゃないかなと。

例えば、お互いろくに理解し合ってないけど、お互い趣味をそれなりに楽しんで、家庭以外の領域があって、なんとなく毎日を共に過ごせて、特に大きな波風もたたず、いつの間にか老夫婦になっちゃって、こんどは孫の世話に忙しくて、振り返るとやっぱりろくに話す暇もなかったなぁ、でも普通に人生共にできたよね。気付いたら80歳だねわっはっは。

こんなんでいいんじゃない?と超個人的には思っている。

この考えにたどり着く前に、実際のところ自分も「夫婦円満、目指せ相互理解100%!」と意気込んでいる時期があった。そうだな、結婚して5年目くらいまでだったか。今振り返ると、夫という他者と自分とを同一視していて、自他の境界があいまいだったんじゃないかなと思う

「あなたを理解したい」は行き過ぎると「私がこんなに理解に努めているんだから、あなたも私を理解すべき」という交換取引に変化する。これは泥沼の入り口で危険である。

そもそも「他者を理解したい」という思いを持つ人は、「相手も自分と同じように他者を理解したい気持ちがある」と勝手に誤認しがちで、世の中には他者に興味関心を示さない人も一定数存在していることを知らない。

私がまさにこれだったんだけど、夫は他者に興味がないタイプで、いくら働きかけようとも全く変わる余地はなく、そのうち「こうゆう人間が存在するのか」と冷静にとらえられるようになった。家族への愛情はあるものの、基本的に色々なことに無関心なのである。どういう仕組みなのかいまだに全く理解不能で、いや、別に理解しなくていいんじゃない…?そこにこんなにエネルギー使う必要ある?だって全く違う人間なんだもの。という境地に結婚10年目で至っている。

「夫には全く理解不能な領域がある」と理解してから、私の中に変なモヤモヤや夫への不満みたいな感情が生まれることがほぼなくなり、無駄な衝突がかなり回避できるようになった。ちなみに、そもそも他者に興味がない夫は、はじめから「他者は理解できない存在だ」という境地で今まで生きてきており、相互理解を試みるという行い自体を知らないらしい(きみ…よくそれで結婚したな…??)

ちなみにこんな冷めきった感じだけれど、食の趣味がバッチリ合っているという一点をたよりに、毎日わりと穏やかに暮らしている。食事って家族の生活時間で大きな割合を占めるから、意外と重要。食の趣味は重要。

相手にどうしても理解できない部分がある」ということを冷静に理解して、ある程度流しながら、お互いに共通している少ない部分を大切に大切に膨らませて生きていけたら。

結婚10年過ぎたけど、未だにお互いの理解度10%未満だけど、全然わかりあってないけど、「ごはん美味いね」って毎日一緒に暮らせたら、まぁそれなりに幸せなんじゃないかなぁと思います。


寧々

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