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現実と虚構の狭間で生きる私たち

 もう、不思議のアリスみたいな 起きたら全部夢だったみたいなのでいいんじゃないか、、
最期のシーンは比喩過ぎて...
でも(縁が君を導くだろう、また会えるよ)
だからまた、みんな再開するのは確かだよね。後は、想像の世界でいいか。だってエヴァンゲリオンはアニメだし、現実ではない虚構だから、なんだって話つくろうと思えば作れる。
 でも、シンエヴァでは宇部新川駅出て現実世界に繋がったから、エヴァンゲリオンという話しは確かに虚構の世界ではなく、現実に今も存在しているということだよね。そして、今後も生命の終着点まで生き続けるということ。アニメだけで完結させないという現実と虚構が折り混ざった、混沌とした人間界を作品で比喩したかったんだと思う。現状、理想、事実、希望。虚構を夢みながら、現実を生き、時には理想に浸かり、溺れる。
アニメ⇔現実世界の捉え方。
だが、アニメは虚構の世界だけど、現実に存在する。


 

虚構にばっかりで、現実世界を上手く生きてない人もたくさんいる。現実に目を塞いでいる人がいる。そんな人に、虚構を生んだ現実世界こそ責任をもってしっかり生きるべきだ、そして虚構と現実は似て非なるもの、虚構も時には生きる希望である。君が見ている虚構は現実の理想が生んだに過ぎない。という庵野さんのメッセージが受けとれる。1人の男が、夢みた世界を自分勝手に作り、それに自ら翻弄され、苦しみ、痛む。だが、それは自己満の世界の外側で肥大化し、現実世界にエヴァンゲリオン(福音)として大きな希望を与えることになった。

 現実世界は甘いものではない。時には自分の期待に押し潰されそうになる。苦しみ、悶える。死に向かう人もいる。だが、それは自分が作った理想という虚構にすぎない。虚構であったということ、それはそれは痛みを伴う悲しい事実だろう。だが、希望は生きる糧でもある。希望という名の虚構がある、だから、前を向ける。だから、生きてる。希望に感謝し、生きよう。不屈の精神で。


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